目次
☆ご挨拶 恒石 道男
☆四国ブロック高知大会参加報告
団体協議会報告 恒石 道男
青年・スポーツ分科会報告 畠山 俊惠
日盲連四国ブロック協議会並びに研修会報告 片岡 義雄
☆思い出すままに 溝渕 健一
☆高知県の盲聾教育について 安岡 一正
☆ある日の教室で 沖 郁子
☆鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉
☆事務局便り
点字名刺の制作について
点字ブロックや信号機の情報
長尾さんのお話
☆編集後記
ご挨拶 恒石 道男
この冬は暖冬だろうと言われていましたが、年が明けるとそれなりに厳しい寒さが
待っていました。今年も桜の開花予想が出ましたが、花見の予定を考えている方も
おいでることでしょうね。2月には四国ブロック高知大会を開催しましたが、
皆さんのご協力のお陰で盛会の内に終えることが出来ました。後日、他県からも公表
だった旨の感想をいただきました。ありがとうございました。
私が会長をお引き受けして1年になります。現在幾つかの懸案を抱えています。
理事会に諮り、4月の総会に提出する予定です。ぜひ多くの方の総会へのご出席を
お願いします。
四国ブロック高知大会参加報告
団体協議会報告 恒石 道男
日盲連への提出議案について討議され次の二つが決定しました。
1.障害者が65歳を過ぎた場合でも、障害福祉サービスの内容が低下しないよう
特段の配慮を要望する。
2.高速道路の料金を視覚障害者が同乗する団体バスを含めた全ての車両に
おいて、身障 手 帳を提示するだけで50パーセント割引になるよう要望する。
談話題については次の通りです。
1.徳島県より、第70回全国盲人福祉大会(徳島大会)への協力について各県に
要望がされました。
2.平成29年度日盲連四国ブロック協議会並びに研修会の日程について次回担当の
愛媛県から報告がされました。
日程 平成30年2月3日〜4日
場所 愛媛県身体障害者福祉センター及び友輪荘
宿泊懇親会 にぎたつ会館
3.高知県として次のことを提案しました。
イ.重度障害者の医療費負担について、他県の状況を確認したが、現在のところ
四国では有料化の動きは出ておらず、全国的にもまだそのような事例はあまり
聞かれないとの話でした。
ロ.日盲連の名称について、近年変更の動きがあるが、四国ブロックとして
どうするか提案し、変更の方向でまとまった。
ハ.四国ブロック大会の中の、代表者会議について、団体協議会と二つが各県で
統一されてないので、どちらかにすべきではないかと提案した結果、次回から
団体協議会とすることが決定しました。
ニ四国ブロック大会の日程について、雪の影響の少ない時期に変更してはどうかと
提案し、香川大会から開催時期を2月げじゅんから3月初旬にする方向で決定しました。
青年・スポーツ分科会報告
畠山俊惠
今年から、青年協議会とスポーツ協議会が統合され、「青年・スポーツ協議会」と
なりました。その分科会報告をします。
参加者は付き添いの方も含めて20名でした。司会は高知県のスポーツ部長
伊藤和也君、全体会での分科会報告は畠山がすることになりました。
自己紹介の後、今年5月に行われるグランドソフトボール四国大会のことについて、
開催県の愛媛県から次のような提案がありました。
今年の大会は、5月27(土)28(日)の両日、愛媛県伊予郡砥部町陶街道ゆとり
公園・多目的広場で行われます。
10月に愛媛県で開催される「全国障害者スポーツ大会」のリハーサル大会として
行われるとのことで、当日の弁当代などすべて愛媛県が負担するとのことです。
27日は合同練習で、午後2時から愛媛県と徳島県が、3時から香川県と高知県が
2チーム同時に練習を行い、4時半からは審判・監督会議が行われます。
28日の大会当日は、開催県の愛媛県チームを除く3チームでリーグ戦を行い、
閉会式の後に愛媛県チーム対3県合同チームが試合を行います。
今年から登録選手は15名から20名になったそうです。特に反対意見もなく承認
されました。
次に、第12回四国地区サウンドテーブルテニス大会について、開催県の香川県から
次のような提案がありました。
日時平成29年7月2日(日)、場所は「高松市総合福祉会館」、10時半から
受付開始。種目はアイマスクありとなし、それぞれ男女混合で行います。5月頃に
案内状を送るとのことです。こちらも承認されました。
次に、ブロック幹事会のことについて話し合いました。日盲連の青年・スポーツ
協議会主催の会議に各ブロック幹事が出席しているもので、そこでは、各地域で
どのようなスポーツが行われているかなどいろいろ情報交換したり、「こんな
スポーツを全国大会に加えてはどうか」などを日盲連の全国大会に提案したりして
いるそうです。四国ブロックの幹事は2年ごとの持ち回りで、今年4月に高知から
徳島へバトンタッチされることが確認されました。
グランドソフトと卓球以外に四国で最近行われているスポーツとしては、
高知県はクライミングやマラソン。徳島県はペタンク。香川県はマラソン、
「テントウ虫伴走」という伴走者の会が各地に広まり、その人のレベルに合わせた
伴走をしてくれるとのことです。愛媛県は、タンデム(二人乗り自転車)、
ブラインドテニス(全国優勝したこともある)ゴルフをしている全盲女性もいる
そうです。
どの県も若い人が会に入らないので、視覚障害者協会では、若い人がしている
スポーツや個人競技について把握できていないのが現状です。
春まだ浅い土佐路に九十余名が参集。
日盲連四国ブロック協議会並びに研修会報告。
片岡義雄
去る2月4日(土)から5日(日)にかけて表記の集会を開催いたしました。
会場は玄関先にはりまや橋をしつらえた、ご存知あの土佐御苑。
午後1時開会。
いつもどおり亡くなられた方をしのんで黙祷をささげた後主催者を代表して本会の
恒石会長が開会挨拶を行いました。
ついでいつもお世話になっている県市の来賓の方の祝辞をいただき、いよいよ
本集会の「メインイベント」たる「 竹下 義樹会長」の中央情勢報告と質疑応答が
行われました。
概要は以下のとおりです。
(1) 高速道路の手帳による割引については四国全県から要望が
出ている。日盲連としてはまだ動きが鈍いが注力していきたい。
(2) ホームからの転落事故が合いついでいる。 12月16日国交省は文書を
出し、駅での盲導犬の訓練や駅員の声かけをうながしている。
まだまだ取り組みが不十分であり関係者との懇談会を考えている。
ホームドアなどの設置が急がれるが国は利用客の多いところから充実をはかる
構えである。 ちなみに四国では8割が無人駅とのこと。
(3) 同行援護の使用限度は全国的に1ヶ月あたり50時間程度であるが
地域格差が大きいのが実情である。
かねてから要望のあった通勤通学時においては「慣れるまでの訓練期間」に限り
認められることになった。(平成30年4月1日から)
また入院中のガイドヘルパーの利用についても昨年6月、国からの文書により
認められた。
(4) 懸案だった入院中の視覚障害者にも障害者総合支援法にもとずく代筆代読
サービスが適用されることとなった。
(5) ヘルパーの報酬単価適正化や介護保険と障害福祉サービスとの兼ね合いに
ついては交渉中であるが期待の持てる状況である。
(6) あはきについては厚労省が全国の保健所に「無免許と思われる業者に対し
注意指導する」よう文書を出した。
平成医療学園が「法第19条が憲法に違反している」として国を訴えた訴訟に
ついては、国が破れることはまずないと思うが、長引くことが予想されカンパなど
広く会員の協力をねがう。
また国は保険取り扱いについて門戸を広げるかまえであるが、この3月に向けて
作業中である。
(7) 視覚障害者認定等級については、ようやく1昨年から厚労省の審議会で
見直しの論議が始まったところである。
今までどおりの両眼視力の和でなく、見えるほうの目によって算定する方向で
固まりつつあるものの、視力の等級自体を改悪する動きもあり注視を要する。
(8) 日盲連の名称変更については70年の記念大会までに行いたい。
(「盲人」のかわりに「視覚障害者」)
質疑はおうよそ以下のとおりです。
盲導犬の啓発活動について。(愛媛)
高速道路の要求にバスも適用。
19条を堅持すればあんま師が不足する。(徳島)
福祉サービスと介護保険との兼ね合いについて。(愛媛)
など出されました。
これに対し、 介護保険との兼ね合いについてはまだ具体的なことが決まって
いないが悪くならないように努力する。
盲導犬の啓発活動は行政やマスコミ・駅の職員など幅広く取り組んでいく。
バスについては視覚障害者の団体が多く利用しているが障害者の乗車比率など
厄介な問題が出てきそうである。
職場における介助や同行援護など福祉施策が充実し、視覚障害者が晴眼者に伍して
やっていけるようになった暁には第19条は必要なくなると思う。
など答えました。
高知県が発祥の地と聞く帽子パンを食べながらの休憩の後は
土佐落語。
本来はこの時間帯に各県からの活動報告を行っていましたが今回は「高知らしさ」を
出すということで司亭升楽さんを招きました。
竹下会長の言葉を即興で織り込んだり艶話も出るなど、県外の方にも大いに
楽しんでいただけたことと思います。
夕方はいつものとおりの懇親会。
畠山さんの司会で若い人たちにもカラオケの面倒を見てもらい、これまた大いに
盛り上がりました。
私も久しぶりに同級生の山崎文子さんたちと痛飲し楽しいひと時をもつことが
できました。
5日は朝からあいにくの雨模様。
分科会とまとめの全体会が行われました。
私はあはきの分科会に出ました。 例年会長を囲んで話が進みますが残念ながら
今回は不在で、愛媛のこれとうさんの司会で談話会となりました。
第19条裁判や違法行為のめだつ柔整師、それに私にとっては高嶺の花の保険
取り扱いについての話など弾みました。
そして以下の提案がなされました。
(1) 第19条を堅持することを強く要望するとともに各県組織にあはき部を
作り日盲連のあはき協議会の強化をはかる。
(日盲連に提出)
(2) あはき法第19条の厳守を求める決議案。(本集会での特別決議)
11時過ぎから開かれた全体会ではそれぞれの分科会、あはき部・青年スポーツ部・
女性部それに親会からの報告があり、あはき部提案の特別決議を含めすべて
採択されました。
最後に次回開催県の愛媛の楠本会長による招請、ついで恒石会長による閉会挨拶で
本集会の全日程を終了しました。
今回私がうれしく感じたことは、いくつかの要求が実りまたいくつかの要求が
満たされつつあること。 それに土佐御苑のスタッフの方や若い人を含め幅広く
たくさんの方々のご協力が得られたこと。
どうもありがとうございました。
「竹下会長の講演のmp3ファイルがありますので聞かれる方は片岡まで連絡して
ください。」
思い出すままに(5)
溝渕健一
昭和18年(1943年)の4月、僕ら4人はそろって初等部の2年に進んだ。
2年生になって新たに増えた科目は算数で、上級生が心を込めて書き移してくれた
教科書がそれぞれに手渡されたことが先ず思い出される。
ここでは、その当時の初等部2年の読み方(国語)の教科書から、思い出すままに
その一部をざっと紹介しよう。
「うらしま太郎「や「かちかち山」などの日本昔話とともに、どなたもご存じの
「因幡の白兎」や、大国主命が無人島をロープで引き寄せて領土を拡張したという
「国引き(くにびき)」など、古事記に登場する神話も幾つか載っていた。また、
わが国の侵略戦争の結果として建国された満州国への憧れを誘うような
「満州の冬」もあった。
当時のわが国の国語教育においては、美しい日本語ではないという理由で方言や
地方のアクセントなどについては、かなり厳しい指導を受け、そのことに悩んで口数が
めっきり少なくなった児童が、普通校では多数居たと聞いている。そんな副作用を
減らそうと文部省は、主に低学年用教科書のモデルリーディングをレコードにして
その普及に努めるとともに、NHKの学校向け放送を強く奨励していたようである。
※満州国とは、中国の東北地方を占領した日本が、昭和7年(1932年)、清朝
最後の皇帝溥儀(ふぎ)を執政として建国した傀儡(かいらい)国家で、首都は
新京(今の長春)、昭和9年(1934年)に溥儀(ふぎ)の皇帝即位に
よって「帝国」になったが、昭和20年(1945年)、日本の第二次大戦敗北と
共に消滅した。
ところで、この昭和18年の国内ニュースの中でどうしても取り上げなければ
ならないのは、学徒出陣の壮行会が各地で開催されたことであるが、中でも10月
21日の雨の外苑での東京大会は最も有名で、今でもその音や映像は残っている
はずである。因に、その時の模様をラジオで実況放送したのが、あの志村正順
アナウンサーであった。
※昭和17年(1942年)6月のミッドウェー海戦で手痛い敗北を喫した日本は、
作戦の主導権を米国に奪われた。そんな厳しい状況の中で、兵力不足を補うため、
それまで26歳までの大学生に認められていた徴兵猶予を、文化系学生については
停止して、20歳以上の学生を入隊させることになったのである。これが
「学徒出陣」に至る経緯である。
話を再び学校生活の方に戻すことにしよう。
戦局の悪化とともに、田舎の盲唖学校の生活にも変化が出始めた。その1は、
防空壕掘りで、それを弱視の上級生と聾部の上級生が担当した。その2は、
防空演習(主として避難訓練)が昼間だけでなく夜間にも実施されるようになったこと。
その4は、万一に備えて教職員・生徒全員の交差試験(血液型を判定するための
検査)を実施して、その結果を四角い布に記して、それをズボンやスカートの
ベルトの高さ辺りの内側に縫いつけることになったこと。その5は、毎朝1時間目の
授業開始直前に、各教室のスピーカーから流れる歌の旨い上級生のおにいさんの
リードで、「浅緑」で始まる明治天皇の御製を全員が朗詠することになり、又、
食事の前後には修身教育(現在の道徳)の一貫として、いわゆる教訓かを朗詠
させられることになったことなどである。
※明治天皇の御製は「浅緑澄み渡りたる大空の ひろきをおのが心ともかな」と
いうお歌で、浅緑に澄み渡った此の大空のように、広々としたのを自分の心としたい
ものだという願望であろうと拝察する。
最後に文部官僚の作といわれている、食前の教訓かと食後のそれを列記しておこう。
箸とらば天地(あめつち)御代の御恵み(おんめぐみ)
君(きみ)と親との御恩味わえ
箸をおくたびに思えよ報恩の
道におこたり ありわせぬかと
高知県の盲聾教育について
安岡一誠
桃の節句も終、桜の花が待たれる 候となりましたが、皆さん、お元気ですか?
私は何とか病気と付き合っています。
今回は1がつ29日の点字毎日に、京都 盲学校のきしひろみさんが、「歴史の
手触りもっと」 、(私立高知盲唖学校」記事が出ていました。開校は1888年
(明治21)年とのことです。日本では、京都に明治11年に、訓盲院、続いて
13年には東京に楽前会が作られていました。 高知県でこのように早くから
盲聾教育がおこなわれていたのは、史料が見つからなかったからでもあります。
本県では自由民権運動が盛んで「土曜新聞」に本県の盲聾教育の記事が出ていたとの
ことです。当時の生徒数は7名だったそうです。その後 公立盲学校が全国に
作られ、80年になった時、記念しが作られています。その記念しには高知盲のことは
何も書かれていなかったそうです。高知 盲は空襲で全焼していますので、
戦前の史料は何もありません。 高知には1888(明治21〉年に私立盲唖学校が
作られたようです。これは高知県の盲聾学校は1888年5月二十日の土曜新聞に掲載されています。
生徒は7名であったそうです。また、高知日報にも高知盲聾学校の記事が書かれて
いたようです。1887年 3月の土曜新聞によると発起人は盲人の上田恒夫と
野村巌美のふたりであっだそうです。二人は本県に盲聾者の教育機関が無きを憂い、
資金を募って私立盲聾学校を作ったのです。当時は職業教育として、鍼灸や按摩を
教えていたようです。 その後学校は場所を転々と変えていたようです。岸さんは
高知ににも早くから盲教育が行われていたことはむしろ驚きにあたいすると評して
います。そして、最後に自由民権論者植木枝盛の名文である自由は土佐の山間よりに
倣えば盲教育史は土佐の山間より汲みつくむ べきものと言えそうです。と岸さんは
最後を締めくくっています。 その後昭和24年に現在地に移り立派な盲学校が
出来ています。フランスのルイ・ブライユが6点点字を作ってからは、自分で
読み書きが出来るようになり全世界に広く使われるようになり、わが国では
1890年に東京盲学校の石川倉治が日本語の点字を作ってから教育が著しく
向上した。11月1日を点字記念日としていろんな行事が行われています。岸さんは
高知盲にも1度来たことがあります。
2017年3月記」
ある日の教室で 沖 郁子
昭和25年、私は高知盲学校小学部1年生だった。当時、盲学校は、聾学校は
愛宕から越前町へ引っ越してまもなく、旧師範学校の寄宿舎だった建物を盲聾一緒に
使っていた。盲学校の校舎はまだ、建築中だった。昼間は、寄宿舎の一部の部屋を
使って盲学校の授業はおこなわれた。音楽室は食堂だった。食事の準備が始まる
までの時間を使って音楽の授業が行われた。 はじめての音楽の授業を受けるために
食堂へ連れて行かれた。音楽の先生はM先生。私は初めて聞くお声だった。
みんなで「お馬の親子」を歌った。続いて、私に独りで歌うようにいわれた。私は
立って「お馬の親子はナカヨ(シ)」まで歌って「出ん出ん」と幡多弁でいった。
「出んことはない、出しなさい!」と言われてもう一度歌ったが、やっぱり
「出ん」を繰り返した。音楽の時間は緊張したけれど、私は歌が好きだったので、後に
合唱部に入って盲学校を卒業するころまでコーラスを楽しんだ。
M先生は、熱心さのあまり少し厳しすぎるところもあったようにも思うけれど
M先生の指導のお陰で点字の楽譜を覚えることが出来たし、それによって
まがりなりにもピアノを楽しむことが出来た。 5月の始め頃、さっちゃんという
小さな女の子が、入学してきた。さっちゃんはまだよちよち歩きのような感じで、大変かわいかった。受け持ちのK先生は、さっちゃんをかわいがっていた。 ある日、
工作の時間に私たちは、折り紙で金魚を作った。点字用紙を丸く切って、
金魚鉢とした。それに金魚を貼り付けて、みんなの作品を壁に並べて貼った。
何日かして、そのうちの一つが、両端からくるくる巻いて金魚が見えなくなった。
それは、さっちゃんの金魚だった。さっちゃんの金魚鉢の片面に先生が色紙を
貼ったのだ。「先生らあ、さっちゃんにひいきするから、こんなことになるがよ」と
言って私たちは笑った。
私たちが、いつから新しい教室で受けるようになったのかは覚えて居ないが、
小学部低学年も自分の教室の掃除をするようになった。私も教室の床を雑巾がけした。
私とT君は掃除をしながらよく喧嘩をした。T君は私よりいくつか年が上だったので
口喧嘩をしては勝てない。私は悔しいので、雑巾でT君をしばいた。「僕は、
せんきね。僕はそんなことせんきね。」とT君はいった。そのとき、先生や他の
友達がいたかどうか覚えていない。
最近、いじめのニュースを聞くたびに心の痛む思いをしていたが、ふと、この
喧嘩のことが記憶の底からよみがえってきた。
鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉
「百歳までの日めくりカレンダー」
「日めくりを破れば朝の音がする 滋啓」
日めくりは一日が終われば一日を?ぎ取る。その下から今日という日が現れる。
そして今日を生きるのだ。「日めくりの一枚なんと重い日よ 雅一」 それは
今日を生きてきた証を確かめるということだ。生きて来たということは命の
ありがたさを実感することだ。
柳友(川柳の友達)斎藤大雄「川柳養生訓 百歳力をつける」
今月も皆さんからの「ビタミン川柳」をたくさんありがとう。
◆吐く息の白さも寒く手を握る 藤原 千代
♪北風吹きぬき寒い朝も心ひとつで暖かくなる(唄吉永小百合)
寒い手と寒い手を握れば何故か暖かい。もっとしっかり握りしめて。若い二人,
そして老い同志の光景に遠からぬ春の近さが感じられる。握り合いつづけて40数年。「妻の愛 男を暖める」「はく息のひとつひとつが春を呼ぶ 幸泉」
希望と勇気を与えてくれる一句である。
◆傘立てに忘れられたか傘ひとり 岡村 喜一郎
忘れられたのは(傘)ではなく、作者化もしれない。同じ作者の(今日もまた
のれんかきわけとまり木に)がある。飲んで騒いで酔いつぶれ、ふと眼が覚めると
そこにはもう誰も居ない。晩秋の夜風がガタゴトと安酒場の窓をたたいている。
吉田類の「酒場放浪記」ではもう一軒。まさに作者ならではの実感句である。
◆記念日に必ず彼とレストラン 森本 桂子
今は昇天記念日となったお父さん。(作者は彼のことをそう呼んでいる)への
感謝と愛情の深さが詠われている。日々厳しい生活の中で「彼とのレストラン」は、
振り返りの、生かされている喜び、そして明日への希望を与えてくれる時であった。
今年の記念日もマタレストランで遺影となった彼と味わい、愛情を深め合っている
ことだろう。感動の一句である。
◆バトン受け羽ばたく鶴は猿の肩 宮脇 忠支
人間の世界もかくありたいものである。何気ない光景の一断面を切り取って
見つめなおし、そこから人間、そして社会の本当の姿を詠いあげている。環境も
生育も異なる「猿と鶴」二つを繋ぎ結びつけるバトン、今人間に強く求められている
もの。この一句に込められた作者の思いには広く深いものがある。
◆雪明り窓に寄り添い本を読む 松田 近子
懐かしい人、家族たち、遠くに住んでいて会えない友達や恩師など、一通ずつ
たくさんの手紙やハガキが届けられた。積み重なった気が付けば(一冊の)本に
なっている。眠れない冬の夜「窓辺の雪明り」で読み返して思い出とともに再び
まみえる。あれから幾数年、あの日、あの日のままで。淋しさと安らぎの一句である。
雪はなお降り続いている。
◆長生きができそう遺書を書き直す 小澤 幸泉
百歳を迎えた作家、宇野千代は「私、死なないかもしれないね」と宣うた。何度遺書を
書き直したことだろうか。今年もまた。それは生きて、生かされていることの喜びと
感謝の証なのだ。元気を貰える一句。
「いのち ばんざい 百歳も赤ちゃんも 望」
◆触れ合って仲間とともに初旅行 森本 桂子
初めての旅行の感動が見事にこの一句に凝縮されている。長年の念願が仲間と
ともに叶えられた喜びが読者の胸に強く響いてくる。さて、どんな触れ合いの旅行
だったのでしょうか。触れ合いとは、心を通わせ合って親しく交わること。きっと
あの人も一緒だったのではなかったかと思う。厳しい人生の旅路の中で神様から
与えてくださったご褒美である。有難う仲間たち。
◆お正月囲り道して歳いらぬ 藤原 千代
今年もまた囲り道のお正月。もうきっと戻ってこないのでは。
あの人に知らせてあげたいものだ。「正月や冥土の旅の一里塚、めでたくもあり
めでたくもなし 小林一茶」お陰様で歳いらずの作者、若くなるとはいってない、
そのままで充分満足なのだ。
なかなかの着眼、脱帽した。
◆新成人赤飯炊いて送り出す 宮脇 忠支
いろいろありました。やっと親の心がわかってくれる年になったのですね。
赤飯を炊いている母親の両眼は湯煙りの涙でいっぱい。一杯飲みたい父親は
今夜は止めにした。2度目の成人式までお預けにすること。多くを語らない新成人の
心にも、しっかり届けられていることだろう。最高の祝吟である。おめでとう、
本当におめでとう。成人の一歩を。
◆この靴は誰の手元に行くのかな 松田 近子
♪赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃた
きっとそうだと思うよ。倖せに生きて、もう居ないかな。作者が気づかった靴は
今でも大切に残っている。そう思いたい。♪横浜の波止場に建つ童謡碑の前で、
作者の優しさに心が暖かくなる感動句である。
事務局だより
点字名刺の制作を始めました。
昨年ライオンズクラブから寄贈された「点字らベラー」で、点字名刺が出来るように
なりました。墨字印刷された名刺に名前や電話番号などの点字ラベルを貼ります。
ラベルの数によって料金が変わります。詳細につきましては事務局までお問い合わせ
ください。
点字ブロックや信号機の情報です。
国道56号 鏡川橋南詰め交差点〜桟橋3丁目交差点間(新田地区)の歩行者に優しい
歩道整備が平成28年12月に完了。
国道32号 はりまや橋交差点の横断歩道へのエスコートゾーンの整備が平成。
29年2月に完了。
高知市内の国道32,33,55,56号の点字ブロック損傷全ヶ所の補修が平成
29年2月に完了。
平成二十九年三月四日に高知城歴史博物館が開館することに伴い、新たに押し
ボタン式信号の運用が2月20日開始されました。設置場所は追手門前(南北方向)
です。
県警より、音響信号機の鳴動時間を22時まで延長した箇所について連絡がありました。
1、太田川橋東詰、高知市北本町
2、パチンコ第五ホームラン前、高知市南金田
3、万々ビル前、高知市中万々
4、信金瀬戸支店前、高知市瀬戸
5、大豊産業前、高知市城山町
6、高須新町交差点、高知市高須新町
7、高知銀行葛島支店北東交差点、高知市葛島
西部中学校口、高知市鴨部の交差点が、平成二十九年一月二十七日から、歩車分離式
信号機に変更となりました。
道路横断の際にはお気をつけください。
平成二十八年度、歩車分離式信号機及び音響式信号機設置工事一覧表
すべて3月末までに設置される予定です。
歩車分離式信号機
1、下田分岐、四万十市古津賀
2、西部中学校口、高知市鴨部
音響式信号機
1、青柳橋西詰、高知市若松町
2、コスモ石油伊勢崎町給油所前、高知市伊勢崎町
3、ネッツトヨタ万々店前、高知市中万々
4、奥福井交差点、高知市福井扇町
5、ヘアーサロンもりおか前、高知市中須賀町
6、豚太郎瀬戸店前、高知市瀬戸南町
7、西横町交差点、高知市朝倉甲
8、出光興産前、高知市一宮南町
9、クリーニングプラザ前、高知市中薊野北町
10、四国銀行一宮支店前、高知市一宮南町
会員の長尾さんのお話です。
先日のこと、NTTの子会社を名乗るところから電話があり、電話の調子について
聞かれ、ノイズが入ったりすることがあるのだが、電話機の問題かと思っていると
応えたところ、それは回線の問題なので会社を変更すれば直るような話を持ちかけて
来たそうです。即答は避けたのだが、3時間ほどして同じ会社の人間と名乗る者から
電話がかかり、名前やその他こまごま質問が始まったので、NTT本社に改めて
問い合わせてみるからと話したところ相手はそこで電話を切ったと言うことです。
これだけで断言は出来ませんが、電話のやりとりなどから強引な商法や詐欺的商法が
疑われる事例ではないかと思われます。今の世の中、いろいろな電話がかかって
来ます。怪しげな電話のこともあります。落ち着いて対応するようにしましょう。
編集後記
片岡義雄
1ヶ月前の寒さが行ったり来たりしている今日この頃ですが「あかり」読者の皆様
いかがお過ごしですか。 第40号をお届けいたします。
四国ブロック集会お疲れ様でした。
溝渕さんの原稿もいよいよ佳境に入りつつあります。
私もネットで今話題の「教育勅語」なるものを垣間見ましたが、なんと漢字
カタカナまじりの縦書きで、すぐには「ミサキちゃん」に読んでいただけるような
ものではありませんでした。
今後とも「あかり」をよろしくお願いいたします。