平成30年9月15日発行
編集 片岡 義雄
発行 高知県視覚障害者協会
〒780-0928 高知県高知市越前町2-4-5
TEL・FAX 088-875-5247
目次
ご挨拶 恒石 道男 p1
日盲連全国大会参加報告 恒石 道男 p1
日盲連全国大会生活分科会報告 畠山 俊惠 p4
高知レオクラブと視覚障害者とのピクニックバーベキュー 山崎 勝彦 p6
高知ライオンズクラブとバーベキューで交流 松岡 弘 p7
思い出すままに(8) 溝渕 健一 p9
ある風景 沖 郁子 p10
タコさまのあまり優雅でない生活第6弾 片岡 義雄 p12
鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉(こうせん) p15
スポーツ部四国ブロック大会結果報告 17p
事務局だより p17
編集後記 p18
ご挨拶 恒石 道男
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。この夏は連日の猛暑に加え、台風の発生の多
さと四国上陸の恐れの予報に緊張した毎日が続きました。ここまでは、何とか高知はそ
れてくれて助かりましたが、台風シーズンはこれからです。お気をつけください。
さて、国は障害者差別解消法や障害者雇用促進法などの法令を制定して来ましたが、法
の認知度はまだまだです。加えて、先日は省庁や自治体において障害者雇用率の水増し
が発覚し、障害者施策に不信感が増大しています。国のトップが腐ると、政治家から役
人まで右へならえでおかしくなるものなのでしょうか。正直公正も失われたこの数年の
日本の状況に世論は困惑しているというのに、これからまだ3年も我慢しろとは何とも
無慈悲なことです。
せめてもの明るい話題と言えば、オーテピアの開館でしょうか。声と点字の図書館や高
知図書館、それにプラネタリウムを備えた未来館など大きな施設が出来ました。録音図
書などを利用している方も多いと想いますが、一度図書館に足を運んで見てはいかがで
しょうか。
ところで、時の経つのは早いもので今年も残り3分の1となりました。私の場合、年の初
めに描いていたあれこれのどれもが中途半端なままで、反省しきりのこの頃です。まも
なく過ごしやすい季節になります。皆さん、体調に気をつけてお過ごしください。
日盲連全国大会参加報告 恒石道男
去る6月11日からの3日間開催された日盲連結成70周年記念第71回全国盲人福祉大会東
京大会の参加報告を行います。
1日目は、定時評議員会とスポーツ協議会、2日目は研修会と代表者会議が浅草ビューホ
テルで行われました。
評議員会では、平成29年度事業報告と決算報告及び平成30年度運動方針などの議案が審
議され、執行部原案通り承認されました。
審議に先立ち、竹下会長から情勢報告を兼ねた挨拶があり、その中で
1.マラケシュ条約の批准や著作権法の改正、読書バリアフリー法に向けた動きが具体
化してきた。
2.ユニバーサル社会推進法を具体化するための議連が立ちあがった。
3.バリアフリー法の改正法が成立したことにより、鉄道事業者等にはバリアフリー
化の年間計画を立てることが盛り込まれるなど、これまで以上に、鉄道、建物、道路を
一体化したバリアフリー化が促進されるようになってきた
との報告がされました。
また、他の報告事項として、
(1)あん摩師等法19条訴訟についての経過報告
(2)読書バリアフリー法実現に向けた動きについて
(3)旧優性保護法による不妊手術について
(4)日盲連創立記念イベントについて
などが報告されました。
スポーツ協議会では、29年度事業報告と決算報告並びに30年度事業計画案と予算案が提
案され原案通り承認されました。
後半の研修会では、「視覚障害者スポーツの現状と課題・盲学校の現場から」と題し、
筑波大学附属視覚特別支援学校教諭の原田清生(きよせ)氏の話があり、いくつかの問題提起がありました。
課題としては、スタッフの不足・競技者の不足・スポーツ環境の改善・
経済基盤の安定の必要性などが挙げられ、現状の厳しさが示されました。
2日目午前中の研修会では、日盲連の結成70周年記念ということで「70年の歴史と先人
の思いを語る」という演題でパネルディスカッションが行われました。パネリストの笹
川吉彦日盲連名誉会長、板垣成行(なるゆき)日盲連相談役、新城育子日盲連女性協議
会相談役の3人の日盲連の歴史的な逸話を交えながらこれまでの活動とこれからの日盲
連の課題についてが語られました。
午後の代表者会議は全体会の後、分科会がありその後にまとめの全体会が行われました。
私はバリアフリー分科会に出席しました。
バリアフリー分科会では、駅の安全対策、鉄道関係、交差点・信号機、道路関係、
視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)、情報保障、セルフレジ、家電製品・ア
プリなど、39項目について意見交換されました。
駅の安全対策では、ホームドアやエスカレータへの誘導ブロックの敷設、無人駅対策
などが議論されました。
道路関係では、歩車分離式信号機やラウンドアバウトなど複雑な信号機が増えている
ことによる視覚障害者の安全な移動について議論されました。
全国盲人福祉退会の最終日は、上野にある東京文化会館において視覚障害者及び関係者
など約二千名が参加して盛大に開催されました。
記念式典に続き、第2部の議事では、平成29年度決議処理報告と平成30年度運動方針を
執行部の原案通り全会一致で可決し、宣言及び決議共に全会一致で採択されました。
決議内容は結成70周年記念行事の開催、情報保障を確率するために選挙公報の充実、代
読代筆、歩行訓練の充実、外出保障、教育、就労、文化、芸術、スポーツ、弱視問題
高齢者対策、人権・障害者差別解消条例の制定、組織強化、災害対策、国際交流の12項
目を柱にしたものでした。
最後に、来年度の第72回大会開催担当の札幌市視覚障害者福祉協会近藤久江会長から
、来年の5月26日(日)から3日間、ホテルニューオータニイン札幌と札幌市民交流プラ
ザにおいて大会を開催するとの挨拶があり、今大会の幕が閉じられました。
日頃、どこに行くにもJRを利用している私ですが、今回は約40年ぶりに飛行機を体験
しました。JRのサービスについては随分良くなったと感じているのですが、航空会社
のそれはさらに素晴らしいもので、空の旅もまんざらでもないと想ったことです。
東京で利用したガイドヘルパーは、浅草のシルバー世代が立ち上げた事業所の人でした
が、浅草や上野のことなど詳しく、移動や案内も落ち着いてしてもらえてよかったです
。機会があれば、また利用してもいい事業所だと感じました。
日盲連全国大会「生活分科会」報告 畠山 俊惠
今年の日盲連全国大会は6月に東京で行われました。私が参加した「生活分科会」の
報告をします。
参加者70名。そこで話し合われた内容は
1. 障害者差別解消法・障害者総合支援法
2. 同行援護・移動支援
3. 65才以上の介護保険・高齢者問題
4. 日常生活用具給付等事業
5. 意思疎通支援事業
6. 歩行訓練
7. 災害
8. その他
各地域から出された切実な要求は40項目ありました。
事務局が提出議案を読み上げ、その後、各団体からの提案理由説明、フロアからの補
足説明や意見などが出され、最後に拍手で採択という流れで行われました。
●同行援護について 利用者の自己負担を廃止するとともに、利用時間制限の撤廃を
要望するなど、14項目が話し合われました
障害がなければ自由に行動できるが、それができない視覚障害者にとって同行援護は
どうしても必要なこと。「視覚障害者の『移動の自由』は基本的人権の一つであるとい
うことを、日盲連として強く訴えていかなければいけない。」と助言者の先生からアド
バイスがありました。
また今年は、タンデム自転車(2人乗り自転車)を同行援護の移動に認めてほしいと
いう要望があり、私は正直びっくりしました。
タンデム自転車で公道を走ることが認められている地域は全国に15,6カ所あるそうで
す。交通の便が悪い地域で、ヘルパーさんが運転するタンデム自転車に乗って買い物に
行く・・・。それは理想的なことかもしれませんが、誰でもがすぐ自転車に乗れるわけ
でもなく、かなり講習を受ける必要があると思うし、そのほかにも問題はたくさんある
と思います。
ヘルパーさんが運転する車での移動も認められていない中、この要望の実現ははっき
り言ってないだろうと竹下会長もおっしゃいました。
●65才以上の介護保険・高齢者問題について 障害者福祉サービスを受けている視覚
障害者が65才になって介護保険に移行になると、家事援助においてサービスの低下や経
済的負担が生じると言うことがある。調査認定項目も視覚障害者に関係したものはあま
りなく、非該当になるケースがあるとのことです。
視覚障害者にとって一番必要な「代読・代筆」は介護保険の中には含まれていません
。しかし、例え介護保険が非該当になっても、「私たちは代読・代筆・買い物などをし
てもらえなかったら特に単身者は生活していけませんと強く訴えて、私は65才を過ぎて
も障害福祉サービスを受けていますよ。」という方が実際にいたので、ちょっと安心し
ました。年齢にかかわらず、障害者総合支援法によるサービスが全国一律の基準で受け
られるようになることを願っています。
●日常生活用具給付等事業について 晴眼者のどー許可族がいると給付対象とならな
い音声式腕時計・音声式体温計などの給付用件の改善を要望する。全ての市町村の施設
入所者にも、国の責任において日常生活用具が給付されるよう要望するなどいろいろ出
されました。
一方鳥取県では、鳥取地震をきっかけに「緊急時の会員の安否確認や様々な情報入手
のために必要」と訴えて、スマートフォンが日常生活用具として認められたそうです。
それにはちょっとびっくりしましたが、「鳥取県のように目的をしっかり示して勝ち取
った取り組みは大いに学ばなければいけない。」という声もありました。
全てにおいて、地域格差がかなりあるということを今回も感じた分科会でした。
空き時間には、雨の中ヘルパーさんと浅草をぶらぶらしました。ちょっと立ち寄った
小さなブティックで、リバーシブルになったチュニックと、それに合ううすてきなスカ
ーフを2枚買いました。全部買っても五千円足らずという驚きの安さ。とてもそんな値
段には見えないというお得な買い物ができて私はるんるんでした。
その後、話の種に「スカイツリー」にも行ってきました。どこに行っても中国人がた
くさんいて、それはそれは賑やかにおしゃべりをしていました。
高知レオクラブと視覚障害者とのピクニックバーベキュー
高知ライオンズクラブ高知レオクラブ結成50周年委員会
委員:山崎 勝彦
当クラブは結成間もない時期より、視覚障害者協会へ毎年白い杖をはじめとして視覚
障害者用器具を約50年の長期にわたり寄贈して参りました。
しかしながら時代の流れとともに、50年前とは比較にならないほど、日本の生活水準
は向上いたしました。また、ライオンズクラブの方針としても、お金の寄付を基本とす
るアクティビティは縮小し、地域を巻き込んだ労力アクティビティへと移行しつつあり
ます。
先般、そのような流れの中で貴協会へご相談に伺ったときに、これまでの物品寄贈より
も、視覚障害者の日常を一緒にピクニックなどの野外活動を通じて、その生活の一端で
もご理解いただけるような機会をつくって欲しいとのご要望を頂き、高知レオクラブと
視覚障害者協会の合同ピクニックバーベキューを企画し、視覚障害者の方々との会合と
して開催することとなりました。
8月26日、日曜日朝レオクラブのメンバー9名、視覚障害者協会員9名、高知ライオンズ
クラブからは15人の参加で、準備用先発隊は自家用車で、その他参加者は27人乗りの観
光バスに乗って、高知市土佐山村のオーベルジュ・バーベキューコーナーへ行くことと
なりました。
オーベルジュでは小松レオクラブ委員長の司会で皆が一緒に野外テーブルを囲み、レオ
の質問に視覚障害の方々が答える形式で進行されました。レオの学生達にとっては視覚
障害の方々の日常生活の難点が理解でき、感慨深いものが得られたと感じました。
質問が終わるとお待たせのバーベキューパーティの始まりです。最初はエビの焼き物・
焼き肉から始まり、鮎の塩焼きや焼きそばとお腹一杯になるまでみんなで楽しみました。
興がのってお決まりのスイカ割りも行い、皆が打ち解けたような感じでした。
今回のレオ活動は各学生諸君にとって、種々の社会勉強、社会貢献と、将来社会人にな
った時には彼等の大きな財産になるものと確信するところです。
貴協会ではまだまだ様々なご要望がお有りかと存じますが、是非当クラブの意図する
ところをご理解いただきまして、またご一緒に活動させていただければと願うところで
す。
高知ライオンズクラブとバーベキューで交流 松岡 弘
去る8月26日に標題の交流会が行われました。ライオンズクラブ以外の参加者は視
協から9名、高知高校のボランティアクラブ10名と引率教員1名です。
10自前にこだかさセンターに迎えに来た観光バスの中でまず最初に高知ライオンズク
ラブ会長さんから今回のイベントの趣旨の説明を聞いた後、自己紹介をしている内に目
的地、土佐山のオーベルジュバーベキューコーナーへ到着しました。
出発前に降っていた小雨も上がり、薄曇りのバーベキュー日和になっています。足下
から大きな川の流れる音が聞こえ、ミンミンゼミも鳴いていていかにも山里へ来たとい
う感じです。私は高知へ来て初めてミンミンゼミの鳴き声を聞きました。
ここで最初のイベントは、見える人達から我々に質問するコーナーです。
「日常生活で困っていること、外出して困ることは?」「どんな時が一番楽しいです
か」などの質問があり、それぞれ自分が体験したことや考えていることをお応えしまし
た。次は本命のバーベキューです。ライオンズクラブや高知高校の皆さんが焼いた熱々
のエビ、肉、キャベツやたまねぎ、天然の鮎等々。そうそう、きびもありましたよ。最
後はぴりっとスパイスのきいた焼きそばで締めくくり。
おなかも一杯になったところで、今度はスイカ割りです。見事に割ったのはNさん只
一人。子供の頃スイカ割りなんて視覚障害者を馬鹿にしたゲームだと想っていましたが
、自分の心の狭さを反省させられた楽しいゲームとなりました。もちろん、甘いスイカ
をいただいたことは言うまでもありません。
最後に記念撮影をして帰りのバスに乗りました。バスの中では「良かったね」「楽し
かったね」「こんな会なら何度でも参加したいね」などの声も聞かれて、今回のイベン
トは成功だったと想いました。
ライオンズクラブからは、ただいただくばかりの一方通行で、お互いの顔が見えるお
つきあいが出来ないものかと考えていた私でしたので、今回のイベントは大変有意義な
ものになったと想っています。
本当にありがとうございました。
思い出すままに(8) 溝渕 健一
昭和20年(1945年)の4月には、僕ら4人は揃って初等部4年に進級して うれしがっ
ていたのだが、この年の3月には東京を始めとする主要都市が大空襲を 受け 、また、4
月には沖縄へ出撃途中の戦艦「大和」が米軍の爆撃で沈没するなど、日 本は既に敗戦
間際の断末魔の足掻きを強いられていたのである。しかし、そんな厳 しい選挙区など
については教室で教わった記憶は全然ない。
米軍の苛烈な空襲は急速に地方としにも広がったので、高知市でも学童の強制疎開が慌
ただしく始まり、盲唖学校では初等部4年生以下の寄宿生全員を6月10日から帰宅させた
が、7月4日未明の空襲で校舎も寄宿舎も全焼した。したがって、20年度の僕らの授業は
、防空壕へ出入りしながらの僅か2ヶ月間に過ぎなかったのであるが、それでも国語読
本(当時の国語の教科書)に載っていた「爆弾三勇士 」については今でも少しは覚え
ている。それを要約すると、昭和7年(1932年)の上海事変で、日本軍が中国軍の激
しい抵抗を受けて進路を阻まれたとき、江下(えした)・北川・作江(さくえ)の
3人の1等兵が爆弾と共に敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いたという英雄物語であ
る。※「上海事変」は、昭和7年(1932年)1月、満州事変から世界の目をそらすため、
日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件で、その年の5月に停戦
協定が締結されている。 ※「事変」というのは宣戦布告のない戦争のこと。 昭和
16年(1941年)12月に勃発した「太平洋戦争」については断片的にでも記憶している方
はまだ多いと思うが、それより約4年半前の昭和12年(1937年)7月に開始された「日中
戦争」(当時の日本政府の定めた公称は「支那事変」)についての記憶をお持ちの方は
随分少なくなったと思われる。現在84歳の僕が5歳前後の記憶としてわずかに残ってい
るのは、上海で戦死した近所のおじさんの白木の箱を大人に混じって安芸駅まで迎えに
いったことと、「拝啓御ぶさたしましたが 僕もますます元気です」と歌って大ヒット
させた上原敏(びん)の流行歌「上海だより
」ぐらいである。だから、それ以前の「上海事変」や「満州事変」(昭和6年(1931年
)について、おぼろげにでも知る仁は恐らく90歳以上と思われるので、その数は一握り
にも足りなくなった。昭和時代の暗い部分については、思い出したくもないと言う方も
少なくないと思うが、たとえ辛い記憶であっても僕は、それが歴史上の事実であれば出
来るだけ長く心の片隅に留めておきたい。
ある風景 沖 郁子
十数年前、私はある中高年の女性グループと出会いました。
(叙情歌を歌って楽しむグループを作りたいので伴奏をしてほしい)と頼まれたのです
。経験はなかったけれど私なりに何か出来るかも知れないと思って引き受けました。
初めての集まりの時、参加者は40人前後でした。ところが、驚いたことには学校で習っ
たはずの歌をほとんどの人が忘れてしまっているのです。
「歌など歌ったことがない」というのです。知っているはずの童謡唱歌を歌っても声が
出ないのです。発声練習が必要だと思いましたが、音楽の時間に習うようなやり方では
みんなおしゃべりをして声を出しません。とにかくウオーミングアップが必要だと思っ
たので(早春賦)(かすみか雲か)(森の小径)(赤とんぼ)など私の独断でみんなが
知っているメロディーを歌ってもらうことにしました。
忘れた歌を毎月2,3曲ずつ復習していきました。「歌を歌うことはこんなに楽しいのだ
!」ということをみんなに知ってほしかったのです。
やがて、(荒城の月)(ローレライ)(希望のささやき)などを自主的にハーモニーを
つけて歌うようになりました。
その頃から新しい歌も少しずつ加えていきました。(切手のない贈り物)(涙そうそう
)(贈る言葉)など。
秋川雅史さんが盛んにテレビに出るようになったころ「夕べテレビで(千の風になって
)をテレビで歌っていたから急いで楽譜を持ってきて一緒に歌いました」という電話を
何人かがかけてくれました。
ある時、スマップの(世界にひとつだけの花)を歌いたいと言い出しました。テレビの
画面に出ている歌手を見て、ぜひあれを教えてほしいと言うのです。「あれはいい歌だ
けど、ここでみんなで歌うのはちょっと無理です」と言いました。それでもぜひにと言
うので、「次回までに準備してきます」と引き受けました。
当日楽譜を配って一フレーズを何度も練習しながら繰り返し歌っていましたが、これで
はどんなに時間をかけても最後までたどりつけないと思ったので、「もうこらえてえ!
」と私の方が音を上げました。
年を重ねるうちに参加出来なくなる人も出て来ました。少しずつ新しい人も加わって最
初からの人はもう半分もいないかも。最近ほとんどの人が難聴気味で歌集のページ
数や歌の題名がなかなか伝わりにくくなりました。(夏は来ぬ)を歌うことになって、
誰かが歌集のページを見つけたと「ひゃくごじゅうさんページ」というと「さ
んびゃく何じゅページです」と聞いて来ます。何とかみんなに伝わって歌い始めたので
すが、どうも歌がはっきり聞こえない私は歌を止めて「もっとしっかり歌って、言
葉もよくわからない!」と言うと「歌が違います」と言われます。そうか!私は(おぼ
ろ月夜)を弾いていたのです。
「こりゃあ認知症クラブじゃねえ」と言うと一斉に笑い声が返ってきました。
高知市の中心部にある喫茶店の3階での集まりは、初めてこの暮れでまる14年になりま
す。今ではかなりの人が杖をつきながら、螺旋階段を3階まで上って来るのです。下は5
0歳前後から最高齢者は93歳まで。15分の休憩時間を除いて、時間いっぱい歌います。
みんなが歌うことを楽しみにしているので、もう少しがんばってみようかと思います。
タコさまのあまり優雅でない生活第6弾 片岡 義雄
4月22日 10時より視協総会
研修旅行の費用負担のことなど論議。
懇親会はいのの保養センター。
18名参加。
カラオケは無かったものの落ち着いた雰囲気で楽しむことができました。
5月12日
守る会神戸のアイセンター 「vision park」見学。
音声で読み上げる拡大読書機や今はやりのスマートスピーカーなどを見、お土産は定
番のゴーフル。
5月20日
視協四万十市の人との交流会。
高知から8名中村からは山崎さん夫婦と多賀さん、三原村の中平さんが参加。
おなじみのくすのき荘の方のご協力により8時30分センター前出発。
途中アグリで休憩。
12時よりボランティアの方の説明で三原村の星ヶ丘公園を散策。
普通のアジサイよりだいぶ小ぶりのヤマアジサイ、朴木はバニラの香り。
風が強かったものの好天に恵まれ束の間運動不足の解消になりました。
三原村の名物はどぶろくやどぶろく饅頭とあって、わざわざ最寄りの百円ショップで
コップを買い込み帰りのバスの中でさっそく酌み交わす人もいました。
今後の幡多支部の発展が期待されるところです。
5月27日
いきがかりで沖さん主催の合唱の会に有光先生と少しの間参加。
大橋通のメフィストフェレス。
「荒城の月」や「椰子の実」など決して嫌いではありませんが、少してれくさくもあ
り、やはり居酒屋でのカラオケのほうが私の性に合っているようです。
6月3日
松岡グループによる2回目のくすのき荘との交流会。
前回からほぼ6か月。
今回初顔の中島寿一郎(じゅいちろう)さんを含めこちらから10名が参加。
10時半センター前出発。
昼食は「村の駅ひだか」。
話に聞くオムライスは柔らかくてねばくてここでしか食べられない味。
若い大崎さんはもとより谷口さんも清家さんも片岡静子さんもみんなお元気。
6月17日
守る会総会と懇親会
久しぶりに開催された競り市で中波とラジオ日経(日本短波放送)が入る30年ほど昔
のソニーのラジオを500円でゲット。
7月7日
日高村全域に避難準備発表。
10日間の雨で県内の多いところで1500ミリ以上。
くすのき荘ではどのような対応をしたのか知りたいところです。
7月29日
台風12号が瀬戸内海を逆走。
今や過去の経験や常識が通用しなくなったのか。
8月6日
恒例の健康診断。
今までの「肝嚢胞」と「胆嚢ポリープ」に加え「肝内石灰化」出現。
8月18日
地鎮祭。
創価学会式の「友人葬」ならぬ「友人起工式」。
まるで秋のような移動性高気圧の下、テントの中はお祭りか運動会の気分。
とは言え「何妙法蓮華経」をとなえるのは何度やってもこれまたてれくさいのが悩ま
しい。
8月21日
中央省庁や地方の役所で障害者雇用の水増しや改竄が発覚。
昨今お役人様や学校関係者の国会軽視や不正行為がめだつのは残念なこと。
8月26日
初めての試みとして、いつもお世話になっているライオンズクラブとレオクラブとの
交流会。
10時ごろセンター前出発。
バスの中での自己紹介。
レオクラブ(高知中学校・高等学校の生徒さん11名)とライオンズクラブ、それに視
協の9名を含め総勢30名の参加。
行先はオーベルジュ土佐山バーベキュー場。
谷と言ってもいいような鏡川の瀬音や市街地では聞くことのできないミンミンゼミの
声を楽しみながらのディスカッションでは視覚障害者の交通や小高坂更生センターのこ
となど質問が出されました。
やはり、バーベキューにはお茶やジュースでなく、ノンアルコールでもビールのほう
が合うようです。
スイカ割では中澤さんがみごと大ヒット。
最後に記念撮影を行い、おかげさまで全員無事帰途につくことができました。
最近百円ショップで買った物。
「電池・スポンジ・ステレオイヤフォン・財布」など。
ちかごろあちこちに百均が登場し、とうとうあの大丸にも「セリア」が出店したようで
す。
電池は当然長持ちしませんが単三が4本から5本入っていて大変お得です。
イヤフォンは何とかステレオにはなっていましたが、まあ天気予報がわかれば上出来
と言ったところ。
財布はコンパクトで普段使いにしています。
また懐中電灯本体や時計などは全くお勧めできません。
鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉
川柳するメリットは、●紙と鉛筆があり、考えることができれば誰でも作れます。
●老若男女、職業、体力、財力等に関係なく誰でも出来ます。●何歳からでも、出来ま
す。何歳まででもできます。●頭の体操になり、老化防止にもなります。●何事にも関
心を持つようになり、いろんなことの勉強になります。●辞書をよくひくようになり、
言葉の意味や漢字を覚えるようになります。川柳を通じての仲間の柳友がたくさんでき
ます。●経費があまりかかりません。●川柳が楽しく生き甲斐となり、生活に張り合い
が出てきます。
●霧の中 空気読取る 永遠の愛 千代鶴(ちよづる)
霧は愛の別れの象徴ではなかったのですね。作者の「永遠の愛」はもちろん言うまで
もありません。それは今も続いています。いつも傍に居る気づかない。作者は、そのこ
とを発見し、私たち一人ひとりにも教えてくれました。感動の一句。
●輪抜け祭 残る半年 無事祈る 忠支(ただし)
広辞苑によれば、高い所につるした輪をくぐりぬける軽業と記されています。毎年6
月30日に神社の行事として一斉に行われています。半年間の感謝、そして残り半年を
作者の思いはどんなことだったのでしょうか。今年も老若男女の長い列が続いています。
●助かります あなたのおかげ 龍馬さん 喜八郎
土佐の人みんなの心です。県外人の私も強く実感しています。でも、明治維新になっ
て歴史の中から消えていました。作家・司馬遼太郎さんが甦らせてくれました。それが
、また、教科書から消えようとしています。土佐のそして日本の宝である龍馬さん、何
としても残さねば。励ましの一句。
●お願いよ 嘘つき総理 もう辞めて 近子
絶対に辞めません。これは嘘ではありません。本当です。高い内閣支持率。そして3/
2以上の議席。これが現代の日本民主主義の実態です。どうしたらよいでしょうか。作
者の声なき悲痛な声が、叫びが耳から離れません。告発の一句だ。
●退院の 我を迎える 桜道 幸泉
49年ぶりに訪ねたその日も、満開の桜が迎えてくれた。私の人生再生の場所です。
もう知る人は誰もいなかった。新宿から京王線で聖跡桜ケ丘下車。徒歩20分余り、小
高い丘の麓に今も建てられていました。高知へ来てから45年になる。東京、名古屋そ
して高知、さまざまな出来事、そしてたくさんの人たちとの出会いが。感謝の一句。
●風の中 友と走った レストラン 桂子
この時の様子を心はずませて、作者は話してくれた。食欲を満たす以上の満足感、そ
して至福の時だったことでしょう。メニューは覚えていないとのこと。「友と走った」
のですね。「お父さんは」そうでしたか。全て言うことはありません。
● お茶を蒸し 香りにむせぶ 喜びを 千代鶴
作者の故郷(池川町だと)は茶畑一面に拡がっている所です。
毎年茶摘みに出かけ、蒸して加工されるという。一度、お訪ねしたいと思っています。
何という喜びでしょう。夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見える
は茶摘みじゃないか 茜たすきに菅の笠 懐かしい童謡歌の一節を。
●雨空に てるてる坊主 頭掻く 忠支
六月の雨は静かでおとなしい同じ作者の句です。てるてるの役割は、あした天気になあ
れ(きっとなる)を受けて待っています。しかし、今も続いている猛暑、豪雨はてるて
る坊主が頭を掻くしかなす術がありません。本当にいつまで続くのでしょうか。これで
は、てるてる坊主は干上がってしまいます。
●ウイクデー 仕事山積み 待っている 近子
やってもやっても終わらない。次から次へと積まれてゆく。
仕事って何なのでしょうね。あたり前に働いて、あたり前に家へ帰る。忙しいとは心を
亡すという意味です。過労死という言葉が当たり前になっている社会。しっかりとみん
なで声をあげて
NOと言うべき時。
●竹の子寿司 母が引き継ぐ 祖母の味 忠支
そして、作者が引き継いでいますか
にぎりめし母の祈りかたちして(小出智子)母の祈りの味がいっぱい詰まっています。
毎日の生活ではすっかり忘れてしまっていますが、時々思い出したように台所に立って
調理をします。
あっこれだ、以外と覚えているものです。大切な一句。
スポーツ部四国ブロック大会結果報告
グランドソフトボール
5月13日 徳島市
高知県対香川県4対2で香川県勝利
高知県対愛媛県 雨天中止で愛媛県勝利
優勝 抽選で徳島県
Stt
7月1日 徳島市
畠山俊惠 準優勝
恒石道男 2回線敗退
山下晃 1回戦敗退
事務局だより
1.近くメーリングリストの開設を予定しています。パソコンや携帯電話でメールをさ
れている方は、ぜひアドレス登録をお願いします。
視協のアドレス(kenshikyo@yahoo.co.jp)までご連絡ください。
2.これからの予定
10月20日〜21日 1泊旅行
12月9日 忘年会
12月16日 ルミエールフェスタ(オーテピアでの福祉機器展)
3.会費がまだの方は納入をお願いします。
編集後記 片岡義雄
不思議なもので一度道筋がつくとその年の台風は同じようなコースをたどるようです
。 21号も進行方向の左側に入った高知市ではさほどでもありませんでしたが、室戸で
は風速50メートルを記録し田野町では大雨が降ったとのこと。 被害にあわれた方には
心よりお見舞い申し上げます。
「あかり」第43号をお届けいたします。
私も最近レイテ沖海戦で沈んだ「戦艦武蔵」の本を読みました。
今後とも「あかり」をよろしくお願いいたします。