2019年3月20日発行
編集 片岡 義雄
発行 高知県視覚障害者協会
〒780-0928 高知県高知市越前町2-4-5
TEL・FAX 088-875-5247
目次
ご挨拶 恒石 道男 p. 1
平成30年度日盲連四国ブロック協議会
並びに研修会参加報告 恒石 道男 p. 1
青年・スポーツ協分科会報告 畠山 俊惠 p. 4
四国ブロック協議会・研修会報告 片岡 義雄 p. 5
創立記念日 松岡 弘 p. 8
入会に当たって 野村 正雄 p. 9
今日この頃 竹田 萬美 p. 11
思い出すままに(9) 溝渕 健一 p. 12
老老介護 沖 郁子 p. 13
鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉 p. 16
事務局だより p. 19
編集後記 片岡 義雄 p. 20
ご挨拶 恒石 道男
この冬の高知はどちらかと言えば暖冬気味で推移したのではないかと思われますが、
インフルエンザは高知でも猛威をふるったようですね。皆さんは大丈夫でしたか?
例年のことですが、春先になると花粉症に悩まされると言う方も多いことでしょう。
マスクで防備しながら乗り切りましょう。
昨年皆さんにお願いしました災害義援金ですが、皆さんのご厚意のお陰で沢山集まりま
した。協会からの分と併せて71.000円を日盲連に振り込ませていただきました。
心より御礼申し上げます。
今年は皇位継承が行われると言うことで、平成から新しい元号になることが決まってい
ますが、さてさてどんな元号になるのでしょうか?日常使うには、元号より西暦の方がよほど便利と思うのですが、これだけはやむを得ないですね。
今年度も新しく仲間が加わりました。新しい風を期待しています。
新年度が始まります。いろいろな活動が計画出来たらと考えていますので、皆さんのご
協力をよろしくお願いします。
平成30年度日盲連四国ブロック協議会
並びに研修会参加報告 恒石 道男
標題の四国ブロック大会が高松市にある香川県社会福祉総合センターにおいて1月26
日(土)〜27日(日)の二日間開催され参加しましたのでその報告をします。
四国ブロック大会が開催されるこの時季は、例年雪による交通障害が発生することが多
く、危惧していましたが、不安が現実となりました。高速バスは定時に出発したの
ですが、南国インターを過ぎる頃に大豊川之江間が積雪のため通行止めになり、やむな
く大豊インターを降りて国道32号線での走行になりました。雪の降りしきる大歩危や
池田を経由して川之江まで大豊から2時間以上かかり、通常なら高知から川之江ま
で1時間あまりのところが3時間を費やして高松に着いたのは高知を出て4時間以
上過ぎた1時過ぎでした。
高松駅の立ち食いうどんの昼食もそこそこに会場に向かいましたが、会場内で参加者に
事故があり、開始が約30分ほど遅れていて、我々3名は少しの遅刻で会場入り出来ました。
また後発のメンバー3名は、高速バスが完全運休したということで、予定していた夜の
交流会への参加ができませんでした。
さて大会では、まず日盲連竹下会長による中央情勢報告の講演がありました。
竹下会長は3つの柱を軸に講演されました。
1つ目は障害者基本法と障害者差別解消法について、2つ目は仕事について、3つ目は
安全についてということです。
まず障害者基本法は、3年ごとの見直しが規定されているにもかかわらず未だに行われ
ていないという国の怠慢を批判しました。その上で、先日の障害者政策委員会にお
いて、石川淳委員長が差別解消法の見直しに会わせて基本法も見直しを行うように
提案したということで、少し先が開けた感があると話されました。
差別解消法の見直しにおいては、現在は民間事業者には努力義務になっている合理的配
慮を法的義務化すること、差別事象に対応する道筋をどうするか、災害時などの緊
急時の安全確保のために情報の確約を目指すことなどと話されました。
余談になりますが、県視協として差別解消法に関連した県差別解消条例の制定を県に対
して要求していましたが、その結果来年度中の制定を目指した準備委員会が設置さ
れることが決定したことを書き加えておきます。
仕事については、公務員の水増し雇用と言われているがこれは水増しではなく虚偽の雇
用だと強く抗議したとのことで、その上で、今後においては別枠採用を定着させる
ことが重要であるとの発言がなされました。
あはきについては、新しい受領印払いや19条裁判についての経過報告がありました。
安全については、昨年暮れに起きた駒込駅前での夜から朝にかけて鳴らない音響信号機
から発した問題点と駅ホームにおける安全な設備などが話されました。
2日目の各県代表者会議では、各県提出議題の審議と日盲連提出議題が審議されました
各県提出議題では、徳島から災害時の視覚障害者に特価した福祉避難所の設置とあはき
法を守ると共に違法な無免許対策の推進が提出されました。
高知からは、高速道路とJRの割引についてと住民税課税の場合の1割負担の廃止を提
案しました。
愛媛からは、障害者雇用の詳細なデータの公表と福祉サービスにおける65歳問題が提
案されました。
香川からは、消費税増税に対する年金や手当への考慮と高速道路料金の割引が提案され
ました。
その中から日盲連団体提出議題として、愛媛から提出された福祉サービスにおける65
歳問題と香川から提出された消費税増税に対する措置への要望の2つが採択されました。
他に日盲連理事とブロック長を愛媛県の楠本会長が兼任することを決定しました。
閉会式では、四国ブロック大会次期開催県の徳島県から来年2月1日(土)〜2日(日
)に徳島県立障害者交流プラザで開催することが表明され大会の幕が閉じられました。
帰りのバスは順調に走り、予定通りに帰途に着くことが出来て、また高松と比べると高
知の暖かさは格別で心も体もホッとしたことでした。
青年・スポーツ協分科会報告 畠山 俊惠
青年・スポーツ協分科会は、四国ブロック会の二日目午前9時から行われました
参加者はヘルパーさん4名を含む18名。雪が降ったために懇親会にも間に合わなか
った高知の梶原さん・原さん・伊藤さんの3名は、分科会からの参加でした。
司会者が参加メンバーを紹介した後、第14回四国地区サウンドテーブルテニス(ST
T)高知大会について話し合いました。長年先送りになっていましたが、今年初め
て高知県で大会を開くことになりました。今までに決まっていることを畠山が報告しました。
開催日 2019年7月7日(日)。
場所 高知県立盲学校。
競技種別 アイマスクありの男女混合の部、アイマスクなしの男女混合の部。
試合形式 11点2ゲームマッチのトーナメント。
10:30に受け付け開始、16時には大会を終了するということで、3県の了承を
得ました。
審判員の養成が最大の課題でしたが、卓球協会の方が何人かに声をかけて下さり、何
とかめどがつきました。月1回のペースで「審判体験会」を開いて大会に備えています。
次に、グランドソフトボール四国大会について、開催県の香川から報告がありました
。
開催日 2019年5月11,12日(土日)。
会場 芝山マリングラウンド(高松市)。
試合形式 2面コートを使いトーナメントで行う。
11日の午後に各県が順番に練習を行い、その後監督会議を開くそうです。
そのほか香川県からの報告で、「香川のSTTの選手はいつも成績が悪いので、もっ
と練習をして強くなりたい!」と奮起し、昨年10月21日に有志12名が「ST
Tクラブ香川」を結成しました。月1回集まって練習をしているそうです。結成に
当たって、日盲委(日本盲人福祉委員会)というところから補助金をもらったそうですが
、それは遠征費などに充てたいと考えているようです。補助金がもらえたら助かり
ますが、その日盲委という存在を誰も知りませんでした。
また高知県から、「STTをしているメンバーが少ないので、できれば他県の大会に
参加させてもらっていろんな人と試合をしたい!」という意見を出しました。大会
を開くときには、これからは他県にも声をかけて交流試合を行ったらいいのではな
いかと言うことになりました。
最後に、四国で唯一残っていた愛媛県と高知県の青年部が、今年の3月末で廃部にな
るという残念な報告がありました。
四国ブロック協議会・研修会報告 片岡 義雄
この冬最強クラスの寒波にみまわれた1月最後の週末、高松市で行われた表記集会に
参加いたしましたので、竹下会長の基調講演を中心にご報告いたします。
折柄の大雪で2時間ほど遅れたものの腰の強い讃岐うどんもしっかりといただき、何
とか開会に間に合いました。
まず、来賓の挨拶では盲学校を訪ねた時の印象や障害者差別解消法に基づき昨年4月
に「香川県障害のある人もない人も共に安心して暮らせる社会づくり条例」を施行したことなどが述べられました。
恒例の竹下会長による基調講演の内容はおおよそ以下の通りでした。
1 国や一部の地方公共団体による障害者雇用の水増し問題。
内部障害と視覚障害を装ったものが最も多い。
軽いうつ病は内部障害に、眼鏡をかければ十分に見える人が視覚障害にと言った具合。
このような操作により10年余にわたり四千名もの障害者が公務員として働く機会を
奪われたことになる。
国は2月3日に障害者を対象に採用試験を行い、合格者は676名の予定。
応募者が八千名以上におよび、そのうち拡大文字と点字の受験者は300名にのぼる
また水増し問題をきっかけに別枠で一般職やヘルスキーパーとして雇用する機運もで
てきている。
2 障害者差別解消法の見直し
27都道府県で条例。
そのポイントは。
(1) 民間事業者の合理的配慮について、努力目標の法的義務化。
(2) 差別がおきたときの取り組み。
(3) 災害時における安全の確保。
3 「あはき」について。
あはきが「受領委任払い」の制度の一角として位置付けられたことは意義深い。
視覚障害施術所に対する支援については方法を模索し提案する段階。
19条訴訟については各地で平成医療学園と国の主張が出そろった段階で、早ければ
この秋口にも判決の見通しである。
4 安全について。
昨年12月東京で友人の栗原さんが早朝音響信号機の止められた駅前で車にはねられ
死亡した。
音響信号機の運用や点字ブロック・ホームドアーなどについて警視庁とも交渉し、国
交省の審議会にも関係団体の代表4名を送り込むことができた。
首都圏では5年後をめどにすべての鉄道の駅にホームドアーが設置される見通しだが
、これを地方に広げていくのは大変難しい課題である。
質疑応答では。
マスコミ対策の強化。
日盲連の名称の変更について。(愛媛)
災害時の情報入手について。 (徳島)など出され会長からは。
1 私も盲人という言葉が好きではないが偉大な先達の尽力により「日盲連」の名前
は一般化し親しまれている面もある。
2 裁判の成り行きを詳しく説明するとともに「点毎」以外の報道機関にも大いにア
ピールする。
3 エクシオテックの技術など活用し夜間の信号機や防災情報を取得することも考え
られる。
次いで行われた各県からの活動報告では、彫刻をさわった(徳島)・講師を招いての
学習会(愛媛)など、時系列的に会議やスポーツ・学習それにレクレーション活動
など、女性部も含めて報告されましたが、おおよそいつも通りの内容でした。
待望の懇親会ではカラオケで司会者からの「各県2名以上」のノルマをしっかり果た
し大いに存在を示したのはこれまたいつもの通り。
二日目の分科会はあはきに出ました。
施術者の資質向上について徳島から提案があり、「実技試験が廃止された国家試験の
せい」・「ほかの組織の研修会に出かけてもスライドやテキストなどの問題があり
ハードルが高い」など出されました。
会長からは「日盲連で点訳資料の作成」の意向が示されました。
また、会長は19条裁判について以下のように述べました。
我々にとって完全勝訴以外にない。
もし敗訴しても控訴権は国にあるため、控訴しなければ当然敗訴が確定してしまうこ
とになる。
へたに中途半端な勝訴、たとえば「19条は憲法には違反しないが運用に問題があっ
た」と言った抜け道をつくられると「有害が実証できない限り無免許でも何をやっ
てもよい」ことにされた、あの「HS式無熱高周波療法裁判」の二の舞になりかねない。
なお、「受領委任払い」が一般化することは望ましいが事務が煩雑になることが予想
れ気がかりである。
討議の結果以下の2点を採択しました。
1 あはき法第19条を堅持する。
2 施術者の資質向上のため学校教育の充実を要求するなど、その方法を模索すると
ともに資料の点訳など日盲連もサポートする。
まとめの全体会では代表者会と各分科会の報告の後会長による総括が行われ、「 全
国でブロック協議会を毎年行っているのは四国を除くと近畿と東海だけであり、連
絡を密にするのは大切なこと。
要求がなかなか実らない中、消費税引上げに伴い障害年金受給者に毎月五千円支給さ
れることになったのは大変喜ばしい。
高齢化と組織離れが進んでいるが、未来を見据えた役員体制を構築するのが急務。」
などと述べました。
そして最後に次期開催県、徳島の久米さんより招請の挨拶があり、期日は来年の2月
1日から2日の予定とのことです。
皆さん、ぜひふるって参加してみてください。
ちなみに、本県からは会長・副会長以下畠山さん、二日目からは梶原さん・伊藤さん
・原さんの若手も加わり6名の参加でした。
お疲れさまでした。
尚、いつものように会議の録音がありますのでご活用ください。
創立記念日 松岡 弘
高知県立盲学校の創立記念日は2月20日ですが、今年は90周年という節目に当た
るため2、2月3日の日曜日に開催されました。
午後2時から体育館で行われた記念式典では、実行委員会の挨拶の後学校長の式辞が
述べられました。昭和4年の2月20日に私立だった盲亜学校が文部大臣より高知
県立盲亜学校の設立が認可され、この日を創立記念日としました。校舎も江の口、新本町
、越前町へと移り現在に至っています。生徒数は私が現役時代最も多い時で140
名もいて活気がありましたが、現在では20数名に激減し県下の視覚障害者のセン
ター的役割も担っているとのことでした。
その他教育委員会の祝辞、ライオンズクラブへの感謝状贈呈、生徒会長のお礼の言葉
があり、校歌斉唱で式典は終了しました。 帰りには創立記念日おなじみの紅白饅
頭と防災時に役立つ卓上用のライトをいただきました。なつかしい饅頭の味をかみしめな
がら、35年間の現役時代をなつかしく思い出すことが出来ました。
3時からは堀内佳さんの絶妙なトークの記念コンサートもありました。
5時からは城西館において記念祝賀会が行われました。
総勢100名あまりの参加でしたが、そのうち約40名が卒業生でした。若い卒業生
が多く年寄りの出る幕ではないと思いましたが、それでも大野俊一さん、中沢孝治
さん、久保博哉さん、浦宗義人さんなどと何10年ぶりかでお話しをすることが出
来、出席して良かったと思いながら8時過ぎに帰途に着きました。次は100周年
記念ですが、これには出席出来ないだろうと思っています。
入会に当たって 野村 正雄
会員のみなさま、はじめまして、昨年10月に会員となりました野村です。
自己紹介をさせていただきます。
私は、42歳の時に網膜色素変性症であることを告げられてから、失明に対する苦悩
が始まります。徐々に視力が低下し視野が狭まるにつれ、仕事が思うように進まな
くなるなど苦悩が増大していきました。 この病気は治療方法がないことから、上
手にこの病気と付き合わなければならないことは頭では解っているが、ちっぽけな
プライドなどで素直になれず、友人とも疎遠となるなど孤独になっていきました。
そして、一人での歩行が限界となった53歳で仕事を辞め、家に引きこもるようにな
ります。以前、退職後は悠々自適に第2の人生を楽しく暮らしたいと思っていまし
たが、一人では出かけることもできなくなった身では、毎日、サピエの本を読んだりネッ
トをして過ごすしかできません。
その時に読んだ本の中で特に印象に残っているものは、失明者のリハビリについて多
くの業績を残したトーマス・J・キャロル著書の『失明』(樋口正純訳.日本盲人福
祉委員会発行)の「視力を喪失するということは、視覚を使っての人並みの生活が
終焉したこと、すなわち、普通の生活の死を意味する。」、「視力ある人が死んでも、そ
の代わりに新しい失明者が生まれたのであり、更に楽しい人生が開かれてくること
である。」、「失明した人に対して人生は失ったものではなく、変わったのだと考えさせ
ることが必要である。」と書かれているところです。
これは、見えていたものが見えなくなるということは、見えない自分の新たな価値観
・基準・方法など作っていくことにより、楽しく生きることができる旨を言ってい
るのですが、今まで築きあげてきたものを否定されているように感じてしまい、こ
の失明という現実を真正面から取り上げた厳しい表現が大変印象に残っています。
このように本を読んだり、いろんな会やネットなどで人と交流することにより、目が
見える、目が見えないは関係なく、やる気さえあれば、誰でもなんでもでき、楽し
く生きることができるのではないかと思うようになりました。
この思いの中、私の前向きな第一歩は、盲導犬と近所を歩くことでした。 この第一
歩を踏み出すと、すごく気楽になり、後は次々と前に踏み出すことができるように
なりましたが、時には後退してしまうこともあります。
私は、只今56歳でまだまだ若いと思っていますが、私がネットで交流している人や
イベントで出会う人には若い人が少ないです。 ぜひ、若い人と交流し、若いパワ
ーをいただきたいと思っています。 今後は、視覚障害者としてのまさしく第2の
人生を、一歩一歩前進させ新たな世界を築き、楽しく過ごして生きたいと思ってい
ます。
会員のみなさま、何卒よろしくお願いします。
今日この頃 竹田 萬美
玄関の木蓮の花が咲く季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は昭和
43年卒業です。なんと50年になります。
しみじみと感謝忘れず50年、泣いて笑って時は流れてなつかしい盲学校生活を想い
出します。入学して最初に感じたことは皆さんが暖かくて優しくて明るくてすごく
安心したことでした。でも点字を読むのに本当に苦労しました。
卒業後、病院勤務、開業……。盲学校のおかげさまで「やれやれ命の洗濯が出来た」
と言う患者さんからの嬉しい言葉を残してお帰りいただける喜びを感じながら長年
がんばって来ました。
私は74歳になりました。
高知新聞、こども記者だより、声ひろばに何度も掲載されたうちの一つ、「おばあち
ゃんのしわ」を読んでください。
土佐市蓮池小6年武田尚太郎記者
僕の自慢はおばあちゃんの顔にくっきりと刻まれた法令線とたくさんのしわがあるこ
とです。 おばあちゃんは「お年寄りにとってはしわも友達であり宝物のような存
在でえ」と言っていました。でもそう言いながら、やっぱり気にしているようです
僕はこのしわ達は全然恥ずかしいものではないと思います。そのわけを今までおばあ
ちゃんががんばって生きたあかしだと思うからです。
11歳の僕にはまだわからないところもあるけれど、いつまでも元気でおしゃれ心を
持ち続けるおばあちゃんでいてほしいです。
この作品で「いぶし銀で賞」を高知新聞社でもらいました。
これからも頼もしい孫を見守っていこうと思います。
思い出すままに(9) 溝渕 健一
昭和20年(1945年)6月、高知大空襲の直前に僕ら初等部4年生以下の寄宿生
全員が帰宅させられたことについては、前号に記述した通りであるが、敵兵の上陸
を想定して各地で「竹槍訓練」が盛んに行われていたのもこの頃であった。竹槍と
いっても金属の穂先はなく、3メーターぐらいの竿だけの先端を斜めに削って切っ
先を作ったものであるが、これで武装兵に立ち向かおうというのであるから「無謀この上
無し」である。
突然話しが変わって恐縮であるが、片岡編集長から原稿の依頼があったとき、今回は
珠算協議とともに、母校の伝統行事の一つである「点字競技」について書かせても
らおうと思ってパソコンの前に座ったまでは良かったが、のっけからつまづいた。
まずはこの行事がいつから始まって、いつまで続いたかを思いだそうとしたのだが
、深い霧に包まれたようでどうもはっきりしない。そこで頼りになりそうな何人か
に、電話でその事についてお尋ねしてみたのだが、それもいま一つであった。頭を抱え込
んでいると、ふとあることに気づいた。それは、終戦前から行われていたこの「点
字協議」の企画や指導は、安村三郎先生が殆どお一人で取り仕切っておられたこと
を思い出したのである。卒業生名簿や旧職員名簿を引っぱり出して、ページを繰っ
てみたら、安村先生は昭和16年(1941年)の卒業で、その後昭和39年(1
964年)3月までの約23年間、母校の教職に携わっておられたことが分かった
。従って、「点字競技」が昭和15年以前から実施されていたとしたら、その部分については依然として薮の中であるが、終了の時期については昭和38年頃と考えても良
さそうである。
「点字競技」には、読まれる原稿を書き取る「聞き書き」と、配られた原稿を書き写
す「写し書き」と、前もって暗記した短歌や俳句などを3分間全力で書き通す「速
書き(はやがき)」と、別室から一人ずつ入場した選手たちが、その場で手渡された原稿
を、審判員の前で出来るだけ速く読んでそれに掛かった時間を競う「速読み(はや
よみ)」の4通りあることをご存じの方は多いと思うが、母校では「速書き」だけ
が行われていた。
戦後の「点字競技」は、個人競技として行われてきたが、昔(戦前)のそれは、優勝
旗を目指してのクラス対抗戦でもあった。だが、その旗の大きさやデザインについ
て僕は触ったことも聞いたこともなかったので全く知らない。昭和19年度の2学期
半ばに行われた競技会で、合図の出る前に書き始めるという不正行為が多数見つかった
事で、その優勝旗は朝礼の時、反省と再発防止の誓いを込めて燃やされてしまった
。「低頭」と号令した上級生の沈んだ声は僕の耳には今なお残っている。ちなみに、この
時に採用された短歌は、比較的覚えやすく書きやすいと、下級生にも評判の良かった「
神無月 風にもみじの散るときは そこはかとなく ものぞかなしき」であった。
反対に難解で覚えにくいと、最も評判の悪かったのは、若山牧水の「幾山河(いくやま
かわ) 越えさり行かば寂しさの はてなむ(はてなん)国ぞ 今日も旅ゆく」で
あったと思う。
老老介護 沖 郁子
坂本直美さん(仮名) 89歳
数年前にご主人が体調を崩して入退院を繰り返すようになるまで、直美さんは老いにつ
いてや介護のことについて、あまり深く考えたことがなかったようです。そもそも
、難聴だったご主人の耳は、ますます聞こえにくくなり夫婦の会話もうまく通じに
くくなったと直美さんは嘆きました。私は筆談を勧めましたが、それもそう長くは
続きませんでした。ご主人の老眼も進んでいたのです。
夜も1時間おきに呼ばれるのです。行ってみると、別に用があるわけではなく「何もし
なくてよいから、傍におって欲しい」と言うのだそうです。
直美さんは、ご主人をデイサービスに頼みました。ご主人を送り出した後、直美さんは
仮眠を取ることにしたのです。
いよ
いよこれが最後の入院になるかも知れないと言う時、延命治療をどうするかについ
て、直美さんはつらい決断を迫られました。
去年の春、ご主人は95歳で旅立ちました。
息子さんやお孫さん達の励ましもあって、直美さんは思ったより早く元気になりました。
ピアノを弾いたり、インターネットで音楽を聴いたり……。
昭和20年代に霧島昇るが「サム・サンデー・モーニング」と言うかわいらしい歌をレ
コードにしていることを知りました。偶然に直美さんもその歌を知っていたので、
ついでに永六輔の「生きる者の歌」も一緒にインターネットで見つかったら5千譜
に起こしてもらうことにしました。叙情歌を楽しむグループのみんなと唱いたいと思った
のです。
ご主人を見送ってから一ヶ月立った時、歌の集まりに参加する事が出来ました。
直美さんは、ご主人からの感謝の言葉を支えに1日1日を大切に生きているのだと私は
感じています。
ご主人からの言葉
「自分の人生で、あんたが来てくれたことが一番嬉しかった。」
吉村藤子さん(加盟)83歳 ご主人83歳
軽い後遺症があったので、リハビリのために入院したり少しよくなって退院したりを繰
り返しているうちに、病院のベッドの上で過ごす時間の方がだんだん長くなりまし
た。このまま入院を続けるか施設に入るか「これから相談するところ」と藤子さん
は言いました。
インフルエンザのためにしばらく面会できない日が続いて、久しぶりに許可をもらって
病室に行くと、両手にミトンをはめられていました。それを外してくれと言うので
「これを外したらだめだってと言うと、くそ婆と言ったのよ。あんな事、一度も言
ったことないのに。」と藤子さんは笑っていました。
藤子さんは今でも週に二つか三つの童謡唱歌を唱う会に参加していて、その上に氷川き
よしと三山ひろしのライブには万難を排してチケットを買いに行くのです。
中岡のぶえさん(仮名)75歳 ご主人82歳
「今、大丸におりますので、これから大丸焼き(大判焼き)をお届けします」
5分立つか立たないうちに、自転車の停まる音がして、のぶえさんがほかほかの大判焼
きを届けてくれました。
「ご主人はどうですか」と聞くと、週に2回リハビリの先生が来て下さって指導をして
下さるから、ゆっくりだったら一人でトイレに行けるようになりました。」
少し立ち話をした後で「ちょっと行って来ると言うと、早う帰ってよと主人が言うので
帰ります。」と自転車に乗って帰って行った。家から大丸まで、自転車で30分か
かるけれど、バスはこちらの都合のいい時間に走ってくれないから、つい自転車で
来てしまうとのぶえさんは言った。
のぶえさんは、長年俳句の会を主宰しています。どうかご主人の病気があまり重くなら
ず、俳句の会を続けていくことが出来ますようにと祈る思いで、暖かい大判焼きを
抱えてドアを閉めました。
鳴子抄鑑賞 小澤 幸泉
作句の心得10箇条
1,5・7・5 17音字の定型をまもる。
2,多読、多作、多捨を心がける。
3,発想、表現 リズムの良い句を心がける。
4,説明句、報告句にならないよう心がける。
5,辞書を活用し、誤字、脱字をしない。
6,差別的な用語を使う句、駄洒落の句、語呂合わせの句を作らない。
7,推敲を重ねる。
8,作句を休まない。
9、句会に出席する。
10,川柳を生き甲斐とする(川柳しませんか〜楽しみは頭をひねって5・7・5〜)
○忘れない彼の握手がよみがえる 桂子
「お父さん」の事ではない。と作者は言う。「彼の握手だけは忘れない」あれから長い
歳月が過ぎた。彼の人の消息も分からない。でも、それで良いと思って居る。時々
は思い出す。遠いあの日の光景がよみがえる。それを大切に胸に当て、静かに独り
かみしめる。
○寒に耐え春を先取る藪椿 忠支
山野に自生する椿、やまつばき。作者のたくましく凛とした冬の空気に対比され、見事
に句にまとめられている。落ち椿蝶の来ぬ季をなぜ待てぬ。82歳の女性高齢者の句
である。私の机の上には赤い花が一つ小さな皿に入れられて置いてある。
○春野菜愛情込めてタネを播く 道子
土を愛で、土大好きな作者の優しさとたくましさが句いっぱいに詠み込まれている。季
節の移りゆく姿も背景にあり、見事にとらえている。農園のブロッコリーは今が旬
(道子)楽しみいっぱいの句がこれからも生まれそう。
○渓流釣りシーズン来たと誘われる 喜八郎
眼が見えなくなり、心と身体も不安定な毎日が続いて久しかった。やっとそれなりの落
ち着きを取り戻しつつある。仲間からの「誘われ」に胸わくわく、出かけたい思い
が涌いてきた。作者の気持がしっかり伝わってくる佳句である。
○ドアの音猫が信じて飛びかかる 千代
動的でユーモアのある句。「ドアの音」でご主人様を見分けて「飛びかかる」なんて素
敵な猫なのでしょうか。そう猫はかしこいと言われている。ニヤンとも言わなくと
もしっかり見ている。最後の飼い猫の亡くなる数時間の夜のことを私は決して忘れ
ない。
○露天風呂 愛語りあう雪見酒 近子
いいなあ、最高に幸せ、愛語りあう、恋人、友人、親子、夫婦、「雪見酒」が心も身体
も暖めてくれる。酒がなくても充分(あればなおうれしいが)飲めなくなった者の
負け惜しみかな。いや、脱線してつい。
○平成の終わりを告げる除夜の鐘 忠支
昭和は戦争の時代、平成は平和の時代と言われる。除夜の鐘を聞く作句の思いはそれは
一人ひとりの思いと重なる。課題吟「平成」選をしていて、こんな句が印象深った
「平成末期戦争の音忍び寄る」新しい時代、なによりも平和とくらしが守られるよ
うにと願っている。
○カーペット息子に頼み春模様 桂子
息子と二人のゆっくりとした暮らしが今日も始まる。口数は少ないが作者の気持はしっ
かりと受け止め行動してくれている。「春模様」の一語に作者の喜びと感謝の思い
が込められている感動の一句である。
○猪と雀と稲穂冬支度 千代
それぞれがそれぞれに、どこかで一緒になって長い冬の備えを始めた。人間たちもまた
その一員である。季節の移り変わりと営みが的確に表現されている。川柳は自然を
詠み、その中に人間の思いを表現する。そんな一句。
○寒風に皇帝ダリア凛と咲く 道子
まさに作者の人柄そのままに表現された心引き締まる姿が「皇帝ダリア」なのだろうか
。一度その花にお目にかかりたいものである。なんですか、目の前にいらっしゃる
ではありませんか。「寒風」と「皇帝ダリア」の対比が見事である。
○里帰りバス停にいる母の影 喜八郎
何十年ぶりの里帰り。やっぱり母は待っていてくれた。よくよく見ると、それ母の面影
だった。でも、はっきりと母だった。うれしさと淋しさが交叉したバス停の光景、
そして作者の心の景色がよく表現されている。
○今年こそやりたいことをやってみる 近子
いくつになってもやりたいことがある。「やってみる」意欲を持ち続けている作句に、
尊敬と連帯のエールを送りたい。夢を持てなく、又持とうとしていない若者への心
強い励ましと叱咤である。「いくつになっても」もちにくい社会への作者の挑戦で
もある。
事務局だより
1.新年度が始まると、すぐに総会が開かれます。例年の行事に対しての希望があれば
ご連絡をください。
2.県や市町村に対して、交通や日頃の生活について、また福祉サービスに関しての要
望などがあればご連絡ください。これは思いついた時に、いつでもかまいません。
3.卓球部について、今までクラブ活動の一つとして「卓球部」となっていましたが、
新年度から「STT高知」と言う名称で対外的に活動することとしました。これは
第14回四国地区STT高知大会の開催に併せたものです。
4.こだかさ更生センターの玄関誘導チャイムが新しくなりました。今までは、センサ
ーが反応して鳴るものだったので、すぐ近くまで行かないと鳴りませんでしたが、
新しいものはセンサー方式ではなく、玄関の真上にあり、センターから20メートル
ほど離れていても聞こえます。音は鳥の声になっています。
作動時間は、平日は午前8時半から午後7時までで、土日は午前8時半から午後5時です。
5.3月13日に高知県警と市役所に来てもらい、音響信号機についての意見交換の会を
行い、視協からは7名が参加しました。
1年前に問題化した信号機で、そのままになっている鳴らせない音響信号機について視
協からシグナルエイドを用いた方法の提案を2月に行いており、それに対する県警
の説明を受けて討論を行いました。
県警からは追加工事と器具の費用や工事方法などの説明がありましたが結論は出ません
でした。一つの案として、朝夕に時間を限って動作させることを、当該住民に対し
て県警が申し入れしてみるということで、今回は散会しました。
結果がどうあれ、このような事例については安全に関わる重要な問題として、粘り強く
交渉を続けていかなければならないと考えています。
6.会費未納の方は、納入をよろしくお願いします。また新年度の納入についても適宜
お願いします。
編集後記 片岡 義雄
野村さん、入会ありがとうございます。
今後のご活躍を期待します。
確か私の在学中には、点字競技で「早書き」はなかったように思いますが、代わりに「
50音がき書き」と体力勝負の「目書き」がありました。
ここで嬉しいお知らせ。
日盲連主催の第44回全国盲人文芸大会川柳の部で、恒石会長の「小包の 香りの先に
母が居る」が第3位に入賞し、日盲連会長賞を授与されました。おめでとうござい
ます。
まだ最低気温が5度Cを割り込む日もある今日この頃ですが、
「あかり」読者の皆様、ぜひご自愛下さい。