「師走」という漢字の持つ意味については説明の必要もないが、12月に入ると何
となく忙しない気分になるから妙である。一口に忙しないといっても昔と今、百姓と
商売人、亭主と女房、大人と子供といった具合にそれぞれの時代や年齢あるいは立場
によってその内容は異なる。
昭和9年生まれのぼくにとっては子供の頃の師走が懐かしい。懐かしいといっても戦
中戦後の時代であったから、楽しみは知れたものだ。学校が冬休みに入って帰宅でき
ること、普段はイモ飯や麦飯を食っていても、正月前後だけはちょっと増しなものを
食わせてもらえたこと、お年玉の50銭銀貨(1円の半額)を握りしめて正月2日の
買い初め(今は初売り)を待っていたなどというようなかわいいものであった。
周りの人たちの生活水準も、まあそんな程度であったから、格別不満はなかった。ち
なみに昭和21年当時の白米10キログラムの値段は19円50銭であった。
昭和32年に卒業してから約3年間は、国立病院に臨時雇いとして就職していたが、
僕の給料は、その当時フランク永井が歌ってヒットさせた「13800円」には遠く
及ばず、ボウナスといってもほんのスズメの涙であったから、ことに師走のわびしさ
は身にしみたものである。それでも忘年会と称して1合50円なりの安酒を二日酔い
覚悟で飲んで騒いだことも忘れがたい。
広辞苑で「師走」の部分を読んでみたら「師走坊主」とか「師走浪人」などと、布施
のないやつれた坊主や落ちぶれた武士に関する項がある。師走浪人といえば赤穂浪士
たちの大部分は、彼らの志はとにかくとして、立派な師走浪人であったのではないか
と、ぼくは思っている。それが吉良家への討ち入りが成功したことで、元禄時代から
今日に至るまで、毎年師走になると何らかの形で、「赤穂義士」として多くの日本人
の心に受け入れられ思い出されるのはなぜだろう。ぼくは、日本人の日本人らしさが
そこにあるような気がする。
15年12月
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