ふと思ったこと(その10)


 戦中と戦後の分かれ目は、日本が米英などの連合国に対して無条件降伏して太平洋

戦争を終結させた昭和20年(1945年)8月15日であるが、それなら戦前と戦

中の境目はいつで、「戦後」の終わりはいつであったろうかとふと思いついて僕はフ

リー百科辞典など幾つかの辞典で調べてみた。

それらによると、単に「戦前」と言った場合、特に注意書きがなければ、日本では太

平洋戦争の前の事を指すことが多いようであるが、その期間については諸説あって、

未だ定義は定まっていないようである。

だが、僕の念頭にある「戦前」は昭和12年(1937年)7月7日に勃発した日中

戦争以前であり、従って、その後の昭和20年8月の終戦までの約8年間が「戦時中

」であったと見るべきであろうと思っている。

 「戦後」の終わりについても、その定義は定まっていないようで、長期的には現在

までを含むこともあるらしいが、僕は戦争による混乱が静まって社会的・政治的・経

済的に落ちつきが戻ってきた昭和30年(1955年)前後ではないかと思っている
、。
ちなみに、昭和30年のわが国の経済白書は、「日本の経済は戦前の水準に回復した

」とのべ、翌31年の同白書では、「もはや戦後ではない」という言葉が使われてい

る。

さて、この辺で僕が母校の初等部4年に復帰した昭和21年(1946年)の心のカ

レンダーをめくってみたいと思う。

戦後2年目のこの年は、一口に言えば戦前の日本人の価値観を一変させ、社会システ

ムの大改革が本格的に始まった年であったと言えよう。

その観点から、この年の特に重要なニュース・出来事を、次に列挙しておきたい。

 1月1日……昭和天皇が人間宣言(これは、官報により発布された昭和天皇の詔書

の通称である。この詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自

ら否定したと解釈される部分があり、狭義にはその部分を表現する名称としても用い

られている)。

朝礼での「宮城(きゅうじょう)遥拝最敬礼」や、修身(今の道徳に当たる)の授業

で、教育勅語や歴代天皇の呼称を暗記させられたことがほんのこの間の事であってみ

れば、日本人にとってまさに歴史観のでんぐり返りであったには違いないが、反面「

やっぱりそうであったか」というような一種の安堵感みたいな雰囲気も漂っていたこ

とを、当時12歳の僕も感じたものである。

2月25日……新紙幣と旧紙幣の交換が始まる。

4月10日……女性に選挙権が付与されて初の選挙が行われた。これによって39名

の女性代議士が誕生したが、その中に下町の太陽と呼ばれた社会党の山口静江氏(1

917年〜)もいた。昭和26年、NHKのインタビューに応じてその時の心境を率

直に述べた彼女の声が僕の手元にあるので、テープを起こしてご紹介したい。

「やがて投票の日がきて、いよいよ1カ月の総決算の日ですから、もうただこわいよ

うな待ち遠しいような気持ちで最後の宣告を待ったわけです。そのうちに各社の新聞

記者の方々がドッと押し寄せてきて、カメラを向けるやら大騒ぎになったわけですね

ぇ。その時初めて私は当選したんだ、これは大変だ。十万人の人の代表として私はい

よいよ国会に行かなければならないということで、今度は自責の念に駆られてブルブ

ル震え出してしまって、どうしようもなくなったわけです……。」

5月3日……極東国際軍事裁判が始まる。これは「東京裁判」とも言い、第二次世界

大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁

いた一審制の裁判で、東条英機らが絞首刑の判決を受けた。

5月19日……食糧メーデー(正式には飯米獲得人民大会)開催。これは、皇居前で

行われた、食料の配給遅延に抗議する為の大会で、戦後の社会主義運動の高まりによ

って、最大で25万人が集結したと言われている。

5月22日……第1時吉田茂内閣成立。

※11月3日……「日本国憲法」を発布。

12月21日未明(4時15分)……南海地震(M8.1)。死者は1,330人に

上った。高知市の愛宕町にあったわが母校も、バラック校舎のスレート瓦がほとんど

落ちるなど甚大な被害を受けたが、生徒・教職員は全員無事であった。

 この年の流行歌で僕の手元にあるのは、「みかんの花咲く丘」など2曲の童謡を含

めて27曲であるが、やみ市(いち)・戸惑い・混乱の昭和21年をそのまま印象づ

けるような歌は少ない。むしろ、敗戦直後の日本を元気づけるように「岡本敦郎(あ

つお)と安西愛子が歌ったさわやかなホームソング「朝はどこから」や、岡晴夫の底

抜けに明るい「青春のパラダイス」などが巷に広がっていったことを思い出す。

最後に、昭和21年がかなり色濃くにじみ出ている歌を2曲ご紹介したい。

1局目の「東京の花売り娘」は、門田ゆたか作詞、上原げんと作曲で、岡晴夫が歌っ

ているが、これは戦後の流行歌を語るとき必ず登場する懐メロである。ここでは、そ

の頃の雰囲気が伝わる3番の歌詞をご紹介したいと思う。

3 ジャズが流れる ホールの灯(ほ)かげ

  花を召しませ 召しませ花を

  粋なジャンバー アメリカ兵の

  影を追うよな 甘い風

  あゝ東京の 花売り娘

2曲目の、「波の背の背に 揺られて揺れて」で始まる「かえり船」は、清水みのる

作詞、倉若晴生(くらわか・はるお)作曲で、歌っているのはバタヤンこと田端義夫

である。

海外からの引き揚げ船の入港が、漸く頻繁になってきたこの年の世相を映したこの歌

を、ご存じの方は若い人にも結構多いようで、友人の大崎一男君(平成1年卒)の十

八番でもあることもつけ加えておきたい。


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