昭和22年(1947年)と言えば、連合国軍の占領下にあった日本が、第1時ベ
ビーブームの到来とともに、漸く「民主国家」としての体裁が整いはじめた年であっ
たと言って良いと思う。
この年の僕は、盲唖学校初等部5年生であったが、昭和22年の記憶として鮮明に残
っているのは、@日本国憲法の施行(5月3日)AGHQ(連合国軍総司令部)が「
鍼灸は非科学的であり医療として不適当である」などの理由で鍼灸・あん摩の禁止を
勧告して、いわゆるマッカーサー旋風が吹き荒れたこと(9月21日)B四国盲学生
連盟けっせい(11月29日香川盲で結成式に続いて、弁論大会・点字競技・珠算競
技が行われ、母校の代表が高成績を収めた)ことC菊池昭子が歌ってこの年はあまり
売れなかった「星の流れに」が発売されたこと、の四つである。
ところで、この年は5月3日の憲法施行を中心に、わが国の政治・経済・司法・労働
・教育・社会のあらゆる制度の改革のために、幾つもの法律が制定されたり改廃され
たりして、その延長線上に日本の今日があるといっても過言ではないと僕は思ってい
る。その意味で、昭和22年当時のニュース・出来事の仲から、日本の現状に直結し
ているものを以下に抜粋して列挙しておきたいと思う。
3月31日、教育基本法・学校教育法が交付された。これによって特殊教育が「学
校教育」として位置づけられた。4月7日、労働基準法が交付され、翌8日に公共職
業安定所が設置された。4月20日、第1回参議院議員選挙。4月25日、第23回
衆議院議員選挙。5月3日、日本国憲法施行。5月20日、吉田茂内閣(自由党)総
辞職。6月1日、片山哲内閣(社会党)が成立。7月1日、公正取引委員会発足。8
月4日、最高裁判所発足。11月25日、赤い羽根共同募金開始。12月12日、児
童福祉法公布。12月20日、「あん摩・はり・きゅう・柔道整復等営業法」(法2
17)が交付された。これは、9月に始まったいわゆるマッカーサー旋風に。対する
視覚障害者団体を中心とした猛烈な反対運動の成果であったと言える。
さて、この年の流行歌で僕の手元にあるのは31局であるが、その内次の6局は広
く歌われて、ホームラン性のヒット曲であったと思うのでそれらを以下に列挙してお
きたい。
@渡辺はま子の戦後初のヒット曲「雨のオランダ坂」A藤山一郎と渡辺はま子が上品
に歌い上げた「東京の夜」Bディック・ミネの「夜霧のブルース」Cけだるい春の午
後を思わせるような楽曲を見事にこなした平野愛子の「港が見える丘」D笠置シヅ子
の「東京ブギウギ」E岡晴夫の「啼くな小鳩よ」
上記6曲の中でもDEは特大の場外ホームランと言って良く、今でもラジオ深夜便な
どで時々耳にすることがある。ちなみに、「啼くな小鳩よ」は故永野真太郎さん(昭
和33年卒)の得意の持ち歌で、誕生日会などでよく聞かせて貰ったものである。
いつもならその年のヒット曲についてもう少し詳しく書きたいところであるが、今回
はこの年の10月にテイチクから発売され、菊池昭子が歌ってヒットしなかった「星
の流れに」について少し述べてみたい。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った元従軍看護婦の手記を読んだ作詞家の清水
みのるが、戦争への怒りとやるせない気持ちを込めて作ったと言われている。また、
作曲家の利根一郎は上野の地下道や公園を見回りながら作曲したという話も聞いたこ
とがあるが、思えばこれほどまでに当時の世相の陰の部分を鮮烈に投影させた歌は希
で、発売当初暫く売れなかった理由は、誰もが生傷に触れられたくないような、そん
な気持ちがあったからではなかろうかと僕は思っている。
歌に続いて当時の社会の陰の部分を探訪したラジオ番組の一コマも添えておきますの
で、併せてご覧ください。
星 の 流 れ に
作詩 清水みのる 作曲 利根一郎
1 星の流れに 身を占って
何処をねぐらの 今日の宿
荒(すさ)む心で いるのじゃないが
泣けて涙も 涸れ果てた
こんな女に 誰がした
2 煙草ふかして 口笛吹いて
当(あて)もない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
街の灯影(あかり)の 侘びしさよ
こんな女 に誰がした
3 飢えて今頃 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
唇紅(ルージュ)哀し(かなし)や 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした
「私は今、省線(JRの旧名)の有楽町北口のガード下、炭を溶かしたような闇の中
に雨に打たれてただ一人じーっと立っています。街頭録音班初の街頭録音は、華やか
な街の灯(ひ)を避けて大東京の裏通りの闇に咲く花の生態を密かに録音するために
、私は小型マイクをオーバーの内側にしのばせまして、先ほどからここに人を待って
いるわけであります。このガード下の暗闇に怪しい花を咲かせる街の天使たち。厚化
粧にけばけばしい洋服の娘たちは、宵闇の迫るころからどこからともなく二人三人と
現れて、通りがかりの酔客を伴ってはまた闇の中に消えていきます。……。」
これは、NHKが昭和22年(1947年)4月に放送した「ガード下の娘たち」の
中から、担当の藤倉修一アナウンサー(この年の11月1実から始まった人気クイズ
番組「二十の扉」の名司会者として登場した)の実況の一コマをテープ起こししたも
のである。
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