昭和28年(1953年)といえば、その年の9月1日にラジオ高知(現高知放送
ラジオ)が、jozrのコールサインで全国20番目の民間ラジオ局として産声を上
げたことをなぜか真っ先に思い出した。
この年の主要な国内ニュースとしては、2月1日、NHKテレビが本放送開始。3
月14日、吉田首相の失言から衆議院で内閣不信任案が可決(いわゆる「ばかやろう
解散」)。6月4日、戦後外国女性名で呼ばれていた台風の呼び名を発生順番号に変
更すると発表。8月1日、公衆電話料金が5円から10円にアップ。12月1日、ソ
連から抑留者第一次帰還船「興安丸」が舞鶴に入港。12月25日、奄美群島返還の
日米協定調印。などを挙げることができる。
なお、視覚障害者関連では、10月1日の政令公布によって、盲学校及び聾学校の中
学部への義務制が決まった。
国際ニュースとしては、3月6日、前日死亡したスターリンの後任としてマレンコフ
がソ連の首相に就任。4月11日、国連事務総長にスウェーデンのハマーショルドが
就任。6月2日、英国エリザベス女王の戴冠式。7月27日、板門店で朝鮮休戦協定
調印。8月12日、ソ連が水爆実験に成功。9月1日、韓国の首都がプサンからソウ
ルへ遷都。などが主要なものであったと思う。
この年の母校では、ビッグイベントが幾つもあって、その時の思い出を手繰り寄せ
ると今でも懐かしい。
6月4日、好天に恵まれて城西中のグランドで開催された「四国盲学生野球大会で、
決勝に進んだわがチームは、徳島に6対5で惜敗し涙を呑んだ。
10月4日から三日間にわたって、「中国四国盲教育研究大会」が母校で開催され、
多数の参加者を得て極めて盛会であった。四つの研究対象のうちの一つが僕らの参加
した高等部普通科の数学で、その授業内容は「対数関数」であった。熱心にご指導く
ださった丸山先生には申し訳ないことであるが、どの辺りを教わったのかは恥ずかし
ながら全く覚えていない。
12月12日、盲・聾両校合同の「第1回学芸会」が高知市中央公民館で開催され、
まさに満員の盛況であった。
この年の流行歌のうち今僕の手元にあるのは34曲である。連続放送劇の「君の名
は」は、前年に引き続いて高い聴取率を維持していたので、その主題歌の「君の名は
」をはじめ、挿入歌で織井繁子の「黒百合の歌」や岡本敦郎(あつお)の「花の命は
」も、度々のど自慢に登場した。
前年デビューした春日八郎は「雨降る街角」のヒットで早くもスター街道を歩み始め
、円熟の域に達した田端義夫は「ふるさとの灯台」を。芸者歌手の榎本美佐江は「お
俊恋唄」をそれぞれロングヒットさせている。
また、俳優高田浩吉の愛弟子・鶴田浩二は「街のサンドイッチマン」で会心のヒッ
トを放った。その頃未だ歩く広告塔として細々活躍していたサンドイッチマンの悲哀
と、その当時の雰囲気を感じさせる名曲であると思う。
この年もまた期待の新人がデビューした。その人は、歌唱法の実直さとその人柄が
相まってファンを忽ち魅了した三浦洸一である。デビューから2曲目の「落ち葉しぐ
れ」は、ホームラン級のヒットであった。上の「街のサンドイッチマン」も、この「
落ち葉しぐれ」も、明るい歌ではないけれど、28年頃の社会の暗部の雰囲気がよく
出ていると思うので、以下にその一部を書き出してみましたので、ご存じの方はどう
ぞ歌ってみてください。
街のサンドイッチマン(昭和28年)
作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正 歌唱:鶴田浩二
1 ロイド眼鏡に 燕尾服
泣いたら燕が 笑うだろ
涙出た時ゃ 空を見る
サンドイッチマン サンドイッチマン
俺ら(おいら)は街の お道化者
とぼけ笑顔で 今日も行く
3 あかるい舗道に 肩を振り
笑ってゆこうよ 影法師
夢をなくすりゃ それまでよ
サンドイッチマン サンドイッチマン
俺らは街の お道化者
胸にそよ風 抱いてゆく
落葉しぐれ
作詞:吉川静夫 作曲:吉田 正 歌唱:三浦洸一
1 旅の落葉が しぐれに濡れて
流れ果てない ギター弾き
のぞみも夢も はかなく消えて
唄もなみだの 渡り鳥
3 暗い裏町 酒場の隅が
せめてねぐらの ギター弾き
灯かげ(ほかげ)もさみし 蛍光灯の
かげにしみじみ 独り泣く
ふと思ったこと バックナンバーに戻る