ふと思ったこと(その18)


 昭和29年(1954年)といえば、僕が二十歳になった年であるが、当時のマス

コミはこの年の世相を「ヒロポン、ぱちんこ、お富さんの年であった」と集約したが

、今思い出しても明るいニュースや話題の乏しい一年であったと思う。

この年の国内ニュースで主要なものとしては、1月1日、1円未満の小銭が廃止。同

2日38万人の皇居参賀で二重橋が大混乱に陥り、16人死亡。3月1日、マーシャ

ル諸島のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、第5福竜丸の乗組員23人全員が

被爆。4月21日、造船疑獄事件に関し、法務大臣犬飼健(けん)が指揮権を発動し

て、自由党幹事長佐藤栄作の収賄容疑での逮捕を無期限に延期させた。6月8日、改

正警察法が公布されて都道府県警察に一元化されることになった。7月1日、陸・海

・空の自衛隊発足。9月23日、第5福竜丸の無線長久保山愛吉さんが放射能障害で

、「私で最後にして欲しい」と遺言して亡くなった。9月26日、青函連絡船「洞爺

丸」が台風で座礁・転覆して、死者・不明者が1355人に昇る大惨事となった。1

1月24日、日本民主党が結成され、総裁に鳩山一郎が就任。12月7日、吉田茂内

閣が総辞職。同10日、鳩山一郎内閣が成立。などを挙げることができる。

 国際ニュースでは、6月21日、インドシナ休戦協定(ジュネーブ協定)が成立し

、ベトナム・カンボジア・ラオスの独立とともに、南北ベトナムの境界線を北緯17

度線と定めて停戦が実現した。10月9日、ベトナム民主共和国(北ベトナム)がハ

ノイを首都とすることを布告。11月14日、エジプトでナセルが大統領代理に就任

した。などが耳目を集めた。

 この年の福祉に関するニュースとしては、3月、児童福祉法の改正によって、身体

障害児の育成医療の給付が、また、身障者福祉法の改正で、更生医療の給付が、それ

ぞれ創設された。5月、厚生省が点字図書の出版・貸し出し事業の民間への委託を開

始。6月、盲学校・ろう学校及び養護学校への修学奨励に関する法律の制定。日本点

字研究会発足。などが注目された。

 次に、母校の思い出をたぐり寄せてみたい。6月22日、追手前高校で開催された

「高知県高校生弁論大会」で、溝渕健一が3位に入賞した。大会終了後の記念撮影の

時、1位の浦恵子さん、2位の島内順子さんと懇談する機会が与えられたが、3人の

間でどんなことを話し合ったのかはほとんど覚えていない。10月29日、寄宿舎で

集団赤痢が発生し、患者を高知市民病院に隔離するとともに、れいめい寮・くすのき

寮の大消毒を行った。裏急後重(りきゅうこうじゅう)(渋り腹)の辛さと、救急車

で搬送された時の記憶は今なおくっきり残っている。

 さて、この年の流行歌で僕の手元にあるのは41曲であるが、ヒット曲として僕の

心に残っているのは10曲前後である。それらの中に懐かしくよみがえる「あなた」

の名曲があればうれしい。

 ベテランの林伊佐緒(いさお)は、秋田県民謡のおこさ節を自らアレンジした「お

こさルンバ」をヒットさせた。歌詞には「恋の掛け持ちエヤーライン」とか「恋をす

るならテレビの娘ヨ」などのフレーズがあって、当時としては新鮮なものとして受け

入れられたのであろう。

 星の流れにで知られる菊池章子は、久しぶりに「春の舞妓」と「岸壁の母」をヒッ

トさせた。春の舞妓は、中学を卒業してすぐ京舞妓になった少女の揺れる心を主題に

若尾文子(あやこ)の台詞入り。また、岸壁の母は、ソ連からの引き揚げ船が入港す

る度に、生死不明のわが子を、生きて帰ってくると信じて、復員名簿に名前がなくて

も、東京から遠く舞鶴まで通い続けた端野いせの実話を歌にしたもので、その感動は

日本中に広がって、ミリオンセラーとなった。

 デビューから4年目の藤島桓夫(たけお)は、「初めて来た港」と「かえりの港」

を歌って2曲ともヒットさせ、その後も港シリーズとして2・3曲発売されている。

 昭和23年度のNHKのど自慢で優勝して、24年にデビューした若原一郎は、6

年目のこの年「吹けば飛ぶよな」のヒットで一躍その名が知られるようになり、芸者

歌手神楽坂はん子の「湯の町椿」は、彼女の最後のヒット曲となった。

 岡本敦郎(あつお)は、高原列車は行く」を朗らかに歌い上げてヒットさせたが、

この歌は今でも時々耳にする名曲である。

 ところで、三橋美智也のデビュー曲を昭和30年発売の「おんな船頭唄」と思って

いるファンは多いが、実は彼のデビュー曲が、この年の1月に発売された「酒の苦さ

よ〜新相馬節〜」であることを知る人は少ないと思う。この歌は、恋の痛手を克服で

きない男心の切なさを、福島県民用の「新相馬節」にはめ込んだものであるが、これ

はあまり売れなかった。

 冒頭でも少しふれたが、この年の最大のヒット曲は、春日八郎の「お富さん」で、

当時どこへ ダイヤルをあわせても、よく耳にしたものである。ご存じの方はどうぞ

口ずさんでください。

お富さん

作詩 山崎 正、作曲 渡久地政信、歌唱 春日八郎

1 粋な黒塀 見越しの松に

  仇な姿の 洗い髪

  死んだ筈だよ お富さん

  生きていたとは お釈迦さまでも

  知らぬ仏の お富さん

  エーサオー 玄冶店(げんやだな)

3 かけちゃいけない 他人の花に

  情かけたが 身のさだめ

  愚痴はよそうぜ お富さん

  せめて今夜は さしつさされつ

  飲んで明かそよ お富さん

  エーサオー 茶わん酒

4 逢えばなつかし 語るも夢さ

  誰が弾くやら 明烏(あけがらす)

  ついてくる気か お富さん

  命みじかく 渡る浮世は

  雨もつらいぜ お富さん

  エーサオー 地獄雨

※ 「玄冶店(げんやだな)」は、日本橋界隈の古くからの地名もしくは通りの名(

俗唱)である。幕府の医官岡本玄冶の拝領屋敷跡一帯を指した。江戸時代の新和泉町

、現在の日本橋人形町3丁目のあたりであるらしい。


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