一つカンと打ちゃ ホームランブギ
広いスタンド 拍手がわけば
飛ぶよ飛ぶ飛ぶ 遥かの遥か
空の青さよ 芝生の芝生の青さ
いきなり妙な書き出しで恐縮ですが、これは戦後間もなく「ブギの女王」として、さ
っそうと登場した笠置シヅ子が、昭和24年(1949年)に歌った「ホームランブ
ギ」の1番の歌詞である。編集長からの原稿依頼の件をかすかに心の片隅に止めなが
ら、此までに集めたナツメロを整理していたら、たまたまこの歌が出てきた。数え歌
形式で作られているのだが、その6番の歌詞を聞いていて、これについて書いてみよ
うかとおもいついた。作詞は、熱狂的な中日ファンであった詩人のサトウハチロウで
、作曲は、「東京ブギ」で歴史的なヒットを飛ばし、「蘇州夜曲」や「青い山脈」で
も有名な服部良一である。又、この24年当時は、今と違ってホームランの数は少な
く、一シーズン17本とか25本を打って、ホームラン王になった選手もいたわけで
、それだけに、ホームランは貴重であり、あこがれの的でもあった。
6.八つチームの ホームランブギ
トラに巨人に ロビンス 阪急
タカに東急 中日 スターズ
みんなそろって 元気な元気な選手
特に2行目と3行目をご覧になって、八つのチームをスムーズに頭に浮かべられた方
々は、多分戦前生まれか、そうでなければよほどの蘊蓄の持ち主と言って差し支えあ
るまい。ちなみにぼくの場合は昭和9年(東海林太郎(しょうじ・たろう)が赤城の
子守歌を大ヒットさせた年)生まれであるから、野球好きであれば分かって当たり前
なのである。
さて、昭和24年(1949年)11月26日、「セントラル野球連盟(略称(セ‐
リーグ)」と「太平洋野球連盟(略称パ‐リーグ)」が結成され、それまで1リーグ
制で運営されていたわが国のプロ野球は、2リーグ制に移行したのである。従って、
1行目の「八つのチーム」は1リーグ時代のチーム数であり、2行目と3行目は、そ
れらの球団名である。
「トラ」は、言わずと知れた阪神タイガーズのことである。24年当時の阪神は、エ
ースの梶岡投手、水平打法の別当・物干し竿の藤村などの活躍が目覚ましく、正に猛
虎の勢いがあった。
「巨人」は、解説の必要もないが、読売ジャイアンツのことである。24年当時とい
えば、豪速球の別所・ジャジャウマの異名を持つ強打者青田・打撃の神様と言われた
川上らの活躍が忘れられない。
「ロビンス」は、大洋ロビンスのことで、その後、松竹ロビンス・洋松(ようしょう
)ロビンス・大洋ホエールズを経て、現在は横浜ベイスターズとなり、ファン層も厚
い。24年当時の、真田・江田の2枚エースと、藤村と日がわりでホームラン王を争
った子鶴らの活躍は見事であった。
「阪急」は、阪急ブレーブスのことで、現在のオリックス・ブルーウェーブの前身で
ある。昨今、近鉄との合併問題が急浮上してびっくりさせられたが、両チームのファ
ンならずとも、此からの成り行きが大いに気になるところである。24年当時の阪急
はそんなに弱いチームではなかったが、なぜか野手の名前が思い出せないのが残念で
ある。しかし、天保・今西両投手の玄人受けする絶妙なピッチングは光っていた。
「タカ」は、南海ホークスで、現在のダイエー・ホークスのことである。24年当時
の投手陣の名前が浮かんでこないのは残念だが、3番に飯田、4番に監督兼選手の山
本(後に鶴岡と改名)、5番に好守好打の堀井を配したクリーンアップのシュアーな
攻撃ぶりは、今なお記憶に残っている。
「東急」は、東急フライアーズのことで、その後東映フライアーズを経て、現在は、
日本ハム・ファイターズである。24年当時のエースピッチャーは、白木であったが
、何といっても青バットの長距離打者大下の人気は抜群であった。
「中日」は、中日ドラゴンズのことである。24年当時のエースは服部投手であった
が、不動の4番打者としての西沢の長距離砲は一際異彩を放っていた。
「スターズ」は、大映スターズのことである。その後このチームは、新興球団の毎日
オリオンズと合併して、大毎オリオンズとなり、現在は、ロッテ・オリオンズである
。24年当時のエースはスタルヒン投手で、4番のファースト大岡が、ホームランか
三振かというような、豪快なスウィングでファンを喜ばせていたことが思い出される
16年6月11日
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