ふと思ったこと(その8)


 「歌ありて人生は愉しい、この世に歌がなかったら、いかに味気ないことであろう

か、殊に巷の風に乗って流れ来たり流れ去る流行歌その一つ一つにその時代に生きる

人々の限りない哀歌がこもっている。どんな低俗な戯れ唄でも飾ることなく世相を反

映し偽ることなく人心を歌い上げた真実がある。従って流行歌が大衆に愛好されるの

は当然であり流行歌を知らずに社会や民情を語ることができない。 高橋掬太郎」

高橋掬太郎といえば、昭和6年に藤山一郎が歌って爆発的にヒットさせた「酒は涙か

溜息か」でデビューして以来、音丸(オトマル)の「船頭可愛や」岡晴夫の「啼くな

小鳩よ」大津美子の「ここに幸あり」三橋美智也の「古城」などなどのヒットメーカ

ーとして知られた作詞家である。

僕は、先日ネットで上記の一文を読んで、まったくその通りだと共感を覚えたもので

ある。

それから間もなく湯浅編集長から原稿の依頼を受けたわけであるが、今回は戦時歌謡

について少し書いてみたいと思ったので、その勉強の手始めに辞書を引いてみた。

ところが、「戦時歌謡」では広辞苑にも国語大辞典にも見出し語がなかったが、「軍

歌」はどちらにも登載されており、国語大辞典には「軍隊の士気を高めるための歌。

また、愛国心・軍隊生活などをうたった歌。」と出ている。軍歌と戦時歌謡は、戦時

色と国策の反映という面で互いに重なり合う部分があることから、同じカテゴリー(

範疇)に入れられることが多いようである。だが、たとえ「おおざっぱ」であっても

僕は両者を一応区別して考えることにしている。

日本初の軍歌といえば、慶応4年(1868年)1月から、翌明治2年5月に掛けて

戦われた戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦いから、函館戦争まで)の時に、盛んに歌われた

という「トコトンヤレ節」である。その1番は〈宮さん宮さんお馬の前に ひらひら

するのは何じゃいな トコトンヤレ トンヤレナ  あれは朝敵征伐せよとの 錦の

御旗(みはた)じゃ知らないか トコトンヤレ トンヤレナ〉というもので、これは

軍歌というよりもはやり歌か俗用の範疇に入れた方がよいのではないかと僕は思って

いる。

僕が考えている「軍歌らしい軍歌」というのは、「天皇陛下のために」とか「撃ちて

しやまん(敵を成敗するまでは攻撃の手を止めないとの決意表明)」とか〈天に代わ

りて不義を打つ〉などといった、戦争目的や攻撃精神が詰め込まれた歌で、例を上げ

れば「日本陸軍の歌」「敵は幾万」「出征兵士を送る歌」「太平洋行進曲」「軍艦行

進曲(軍艦マーチ)」「十億進軍か」などがそれに当たるが、それらが庶民に愛唱さ

れることは少なかったと思う。

次に、「戦時歌謡」について述べておきたい。

多少にかかわらず戦時色を帯び、国策を反映した歌であることは当然であるが、それ

ばかりではなく、遠い異国で望郷の念や肉親への思いをこめた兵士の真情、銃後(日

本本土)で、わが子・わが夫・わが兄弟の武運長久(ちょうきゅう)をひたすら祈り

続ける庶民の心がこめられており、その点で典型的な軍歌とは対照的に愛唱歌が続出

している。

一口に「戦時歌謡」と言っても、右翼の街宣車でよく聞かされるような勇ましいもの

から、純粋な流行歌に近いソフトなものまでと、その幅は広いが、それらのうち僕の

独断と好みで以下に趣の異なる3曲、その歌詞のすべてをご紹介したい。

その1 「露営の歌」(昭和12年)

作詞:藪内喜一郎 作曲:古関裕而 歌唱:松平 晃・伊藤久男・霧島 昇・ほか

※ 当初この歌は、出征兵士の壮行の際に使われていたが、悲壮すぎて気がめいると
いう理由で、「出征兵士を送る歌」などに切り替えられたといういきさつがあったよ

うだ。

1 勝って来るぞと 勇ましく

  誓って国を 出たからにや

  手柄たてずに 死なれよか

  進軍ラッパ 聞く度に

  まぶたに浮かぶ 旗の波

2 土も草木も 火と燃える

  果てなき曠野(こうや) 踏み分けて

  進む日の丸 鉄兜

  馬のたてがみ なでながら

  明日の命を 誰か知る

3 弾丸(たま)もタンクも 銃剣も

  しばし露営の 草枕

  夢に出てきた 父上に

  死んで還れと 励まされ

  覚めて睨(にら)むは 敵の空

4 思えば昨日の 戦いに

  朱(あけ)に染まって にっこりと

  笑って死んだ 戦友が

  天皇陛下 万歳と

  残した声が 忘らりょか

5 戦争(いくさ)する身は かねてから

  捨てる覚悟で いるものを

  鳴いてくれるな 草の虫

  東洋平和の ためならば

  なんの命が 惜しかろう

その2 「点数の歌」(昭和17年)

作詞:加藤芳雄 作曲:飯田三郎 歌唱:林 伊佐緒(イサオ)・三原純子

※ 不足する衣料品の公平な分配を目的に、政府は昭和17年(1947年)2月1

日に「衣料切符制度」を施行した。それによると、例えば「背広は50点」というよ

うに、各品目ごとに点数を賦して、一人がその年に購入できる上限を都市部では10

0点、郡部では80点と定めた。そんな国策を100%取り込んだこの歌を、その当

時の歴史的な記録の歌としてお読みくださればうれしい。

1 三十二点の国民服に  胸のハンケチただ一点

どこへ行くにも立派なもんだ 年より点数五点上(うえ)

無駄にゃすまいぞ点数点数 大事に使うも国のため

2 十六点の事務服つけて  持ち場で働きゃ身もしまる

うちでは二点のエプロンかけて  せっせとお炊事ふき掃除

無駄にゃすまいぞ点数点数  大事に使うも国のため

3 ももひき八点腹掛け五点  しるし半纏十二てん

二十五点で職場に急ぐ  今日は棟上げ晴れた朝

無駄にゃすまいぞ点数点数  大事に使うも国のため

4 自分で仕立てたこのワンピース  四点きりよりかかりません

下着と靴下合わせて十点  十四点で颯爽と

無駄にゃすまいぞ点数点数  大事に使うも国のため

5 ひびくサイレン防空服は  二十四点わく力

二点のゲートル足並軽く  元気に伝令さあ守れ

無駄にゃすまいぞ点数点数  大事に使うも国のため

その3 「梅と兵隊」(昭和16年)

作詩:南条歌美 作曲:倉若晴生(クラワカ・ハルオ) 歌唱:田端義夫

※ 軍歌に近い戦時歌謡の代表的な歌の一つが前述の「露営の歌」であるとすれば、

この歌は庶民の心に寄り添う「流行歌」にきわめて近い「戦時歌謡」の代表作の一つ

と言えよう。

1 春まだ浅き 戦線の

  古城にかおる 梅の花

  せめて一輪 母上に

  便りに秘めて 送ろじゃないか

2 覚悟をきめた 吾が身でも

  梅が香むせぶ 春の夜は

  戦(いくさ)忘れて ひとときを

  語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか

3 明日(あした)出てゆく 前線で

  何れ(いずれ)が華と 散ろうとて

  武士の誉れじゃ 白梅を

  戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか


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