「光陰矢の如し」とは月日のたつ速さのたとえであるが、この言葉がほとんど聞か
れなくなって久しい。だが、後期高齢の範ちゅうに入り消費期限が近づくといやが上
にも時の流れの速さを実感することになり、そうなると僕は妙にこの言葉を思い出す
きょうこのごろである。
今回は、遠ざかりつつある昭和20年の記憶を少し手繰ってみたいと思う。
昭和20年(1945年)の3月には東京大阪が、5月には名古屋が相次いでB2
9の大空襲を受け、やがてこの苛烈な無差別攻撃は地方の中小都市にも容赦なく加え
られるようになった。4月7日にはあの戦艦大和が撃沈され、沖縄の守備隊が全滅し
たのは6月23日であった。そして8月6日には広島に、同9日には長崎に原爆が投
下されるにいたって、政府はついに8月15日正午の玉音放送(天皇が終戦の詔書を
読んだラジオ放送)で、わが国の無条件降伏を宣言し、それによって推定死者約16
83万人ともいわれる太平洋戦争が終わった。
昭和20年といえば僕は4月から、県立盲唖学校初等部の4年に進級し、同級の女の
子3人にかこまれながら、音楽以外の科目はすべて受け持ちの北森芳恵先生(当時4
7さい前後)に教わっていた。同級生のうち柿本富代さん(旧姓法光院 昭和30年
卒)は今も現役で頑張っておられるが、後の二人は既に鬼籍に入られた。
初等部4年生で習ったのは、読み方(国語)・つづり方(作文)・算数・珠算・理科
・修身(道徳)・手工(工作)体操(体育)・音楽の9科目であったが、5年生以上
になると地理・国史(日本歴史)・西洋史も習っていたようである。教科書の内容は
当時の国民学校(小学校)と同じであったが、それほど難解なところはなかったよう
に思う。それにしても、修身の時間には「ちんおもうに(朕惟ふに)」から始まる教
育勅語や神武天皇から124代昭和天皇に至る歴代天皇の呼称を暗誦させられ、これ
にはほとほとうんざりしたものであるが、これも昭和13年(1938年)に施行さ
れた「国家総動員法」に基づく国の教育方針であったから無論不服は許されるもので
はなかった。
米軍の爆撃が日増しに地方都市へと拡大の一途をたどりつつあった昭和20年の5月
下旬か6月の上旬であったと思うが、初等部の4年生以下の寄宿生のすべてに帰郷命
令が出されて、僕は安芸郡安芸町(今の安芸市)のわが家で、昭和21年の4月まで
ぶらぶらしていた。従って、7月4日の高知大空襲で母校は灰燼に帰したが、生徒教
職員は全員無事に避難し、居場所を変えながら終戦の日まで頑張り通した苦労の様子
などは、クラスに復帰してから聞いた話しで、僕自身は体験していない。
8月28日には横浜に連合国総司令部(GHQ)が設置され、同30日には天皇陛下
より偉い人といわれたダグラス・マッカーサー元帥が最高司令官に着任し、9月2日
に米艦「ミズーリ号」で降伏文書への調印が行われたことによって、わが国は独立国
ではなく連合国軍の占領国となったわけである。つまり、いかなる政治的・経済的・
社会的・教育的・科学的・文化的活動であっても、GHQの意にそぐわないものは許
されなかったのである。
しかし、GHQの監視下であっても、庶民にとっては戦時中に経験したような抑圧感
や恐怖感はなかったが、慢性的な腹ペコとタケノコ生活(タケノコの皮を1枚ずつは
ぐように、身の回りの衣類・家財などを少しずつ売って食いつないでいく生活)に耐
えながら、悪戦苦闘の日々が続くことになった。
そんな人々に元気をもたらした明るいニュースといえば、11月16日から大相撲秋
場所が国技館で復活し、同23日にはプロ野球の東西対抗戦が神宮球場で行われ、そ
れとともにスポーツ放送も復活したことであった。
それにもまして人々の心をとらえたのは「リンゴの唄」ではなかったかと僕は思って
いる。「リンゴの唄」は戦後映画の第1号で、松竹映画「そよかぜ」(昭和20年1
0月10日公開)の主題歌で、戦後流行歌のヒット曲第1号であった。この歌を歌っ
ている並木路子も霧島 昇もそろってこの映画に出演しているそうだが、僕は映画の
ことについてはまったく知らない。だが、この「リンゴの唄」は日本人の気持ちをそ
れまでの窮屈で刺刺しかった戦時モードから、和やかな戦後モードへといざなってく
れた歴史的な楽曲であると僕は確信している。リンゴを食べたくてもおいそれと手が
出なかった庶民の暮らしを「だまってみている青い空」と、いかにもサトウハチロー
らしい感性で暖かく読み込んでいるところがよい。
以下に、その歌詞をご紹介しますので、口ずさんでいただければ幸いです。
リンゴの唄
作詞:サトウハチロー 作曲:万城目 正 歌唱:並木路子・霧島 昇
1 赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
りんごはなんにも いわないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる
リンゴ可愛(かわ)いや 可愛いやリンゴ
2 あの娘(こ)よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
3 朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
4 歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
みんなで歌えば なおなおうれし
リンゴの気持ちを 伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
最後になったが、11月2日には「日本社会党」(片山哲書記長)が、同9日には「
日本自由党」(鳩山一郎総裁)が、また、同16日には「日本進歩党」(町田忠治総
裁)がそれぞれ結成され、これによって政界もやっと動き出すことになったわけであ
る。
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